歴史探訪・大隅地方の文化財  
歴史探訪は、鹿児島県大隅半島地域の文化財探訪の記録です。

身近な地域の文化財歴史探訪は、それぞれの文化財の悠久の歴史と貴重さを再認識し、ふるさと再発見が見えてきます。また、文化財の存在を確認し記録として残すことは文化財保護と後世への伝承につながります。<掲載内容は十分な精査・検証を保証するものではありません>
 終更新日 2016/04/03  

大隅半島には県内最大級の唐仁古墳群、塚崎古墳、横瀬古墳を初めとして、大隅の歴史の足跡を示す史跡文化財が数多く残されています。近年、鹿屋市の古墳時代の遺跡からは象嵌を施された刀が出土し話題を集め、また東九州自動車道の計画路線上にある串良町細山田の町田堀遺跡では縄文時代、弥生時代、古墳時代の貴重な遺跡が発見され、発掘作業が続けられ、太古の記憶が蘇ろうとしています。稲作文化の息づく大隅半島には肝付川一帯を中心に中世から現代にいたるまで稲作の豊穣を願い、喜びを表現する春祭り・八月踊り、カギ引き祭り、棒踊りなど、大隅半島ならではの伝統民族芸能が今も脈々と受け継がれてきています。
大隅の文化財    指定文化財リスト 記念物(史跡)    有形民族文化財
 無形民族文化財  名勝登録  天然記念物 有形登録文化財
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 最新情報: 鹿屋市大姶良地区の歴史探訪 2015/7/16    錦江町歴史探訪 16/2/29     歴史探訪鹿屋地区 16/3/27
大隅の文化財
ふるさと探訪・歴史探訪で出合った大隅の文化財<探訪活動継続中>    ※国・県指定の文化財
 水神祭鉦踊り
歴史探訪一覧
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国・県指定の大隅の文化財
  国・県指定大隅半島文化財リスト(鹿児島県文化財指定に関する一覧より大隅の文化財を抜粋) 
 指定区分  国 県   指定区分  国  県  指定区分 国  県 
 民族文化財 (有形民族文化財)      記念物 (史跡)      記念物 (名勝)    
 旧高山町野崎の田の神(寛保3年)    ○ 佐多旧薬園  ○    志布志麓庭園    
 旧高山町野崎の田の神(明和8年    ○ 唐仁古墳群  ○   記念物 (天然記念物)     
 鹿屋市野里の田の神    ○ 横瀬古墳  ○    志布志枇榔島 特天     
 旧根占町川北の田の神    ○ 塚崎古墳群  ○    塚崎のクス    
 東串良町新川西の田の神    ○ 高山城跡  ○    志布志の大クス    
 旧有明町野井倉の田の神    ○ 志布志城跡  ○    稲尾岳    
民族「文化財 (無形民族文化財)      愛甲喜春の墓    ○  志布志のカワゴケソウ    
 山宮神社春祭に伴う芸能        ○  溝ノ口洞穴    ○
  山宮神社春祭に伴う芸能      笠野原土持堀深井戸    ○  ソテツ自生地   特天    
 高山町本町の八月踊    ○  登録有形文化財     ヘゴ自生北限地帯    ○  
 蓬原熊野神社の神舞    ○  川上中学校本校舎  ○        
 末吉 住吉神社の流鏑馬    ○  都萬神社関係  ○    登録記念物     
 高山 四十九所神社の流鏑馬    ○ 有形文化財(建造物)      清水氏庭園    
 大隅町八幡神社弥五郎どん祭り    ○   二階堂家住宅  ○    鳥濱氏庭園    
 末吉町熊野神社の鬼追い    ○  有形文化財(考古資料)          
 佐多の御崎祭り    ○ 短甲衝角付冑          
上記の他に有形文化財【彫刻・工芸品・書籍・古文書・考古資料・歴史資料等の文化財があります。上記一覧から大隅地方に関する文化財のいくつかを探訪記の中から紹介します。
 大隅の文化財「記念物(史跡)
 ※唐仁古墳群  塚崎古墳
   
 中心となる1号墳は大塚古墳と呼ばれ、大塚古墳(一号墳)を中心とした前方後円墳と円墳合計約140余基の古墳群で、1934年(昭和9年)1月22日、国の史跡名勝天然記念物の指定をうける。古墳群の中心に位置する大塚古墳は県内で最大級の前方後円墳で、直径185m、高さ11m前後ある  現在44基、このうち5基が前方後円墳で、円墳39基が残っている。第1号墳は直径15m,高さ3.3m の円墳で,墳丘のクスの大木は,国の天然記念物に指定されている円墳の42号墳は直径65メートル、高さ6.5メートルあり花牟礼にある。39号墳は墳長80メートル、高さ約10メートルもあり同じく花牟礼にある。
横瀬古墳  高山城跡 
   
 後円部頂上付近に「竪穴式石室」があるが、明治35年(西暦1902年)盗掘され、その際腐食した直刀、鎧と曲玉類が出土、内部は朱塗りであったという。墳丘およびその周辺より円筒埴輪片、形象埴輪等が出土している。前方後円の完全な形態を残していることで有名だ。  高山城は高山本城又は、肝付城とも称され、天正8年12月第18代兼道が阿多に移されるまで肝付氏の居城であった。文献の上では肝付兼久が叛(そむ)いたといって島津氏11代忠昌が自ら柳井谷に本陣を構えて永正3年8月6日から10月12日まで攻撃したが攻略できなかったという記録が残る。
 ※佐多旧薬園  ※根占町川南宇都の板
   
 佐多旧薬園(きゅうやくえん)は旧島津藩の薬園跡で、この園内にはリュウガン、レイシ、オオバゴムノキ、アカテツ、ガジュマル等、当時としては珍しい植物や薬草が栽培された場所で、これらは本草学に造詣の深かった島津氏第25代当主(薩摩藩の第8代藩主)島津重豪(しまづ しげひで)が薬園の経営につとめたという。  根占町川南宇都の板碑。宇都の板碑。西応六年(1293)の紀年銘があり、本県最古の板碑とされる。禰寝四代清親時代の建立であ。総高1.35m,身部の上の幅43cm,下の幅53cm,厚みは上部で28cm,碑身の上半部にキリーク種子を薬研彫りし,その下に紀年銘がある
※土持堀の深井戸 
   土持堀(つっもっぼい)の深井戸は笠野原台地の開発の苦難の歴史を物語る貴重な遺跡だ。掘られた時期は文政年間から天保年間(1818〜1843年)頃と見られている。井戸の深さ約64m、表面の直径約90cm、円筒形の素堀りである。深井戸のため当時は、人力で水を汲み上げるのは大変で、牛に綱を引かせて井戸水を汲み上げていたという。927年(昭和2年)、笠野原簡易水道ができ、水の苦労がなくなった。
 ※志布志城跡
 
志布志内城の大野久尾(おおのくび)地区で新虎口発見 現地説明会 2015/01/25
 志布志城は内城・松尾城・高城・新城の四つの城郭で構成され、主城の内城は、南北約500m、東西約250mに渡り、面積約97,000u、空堀の規模が大きい。志布志城は、南北朝時代から戦国末期まで、長期間にわたり、さまざまな勢力の城主が居城した城郭である。このことは志布志が軍事・海運・商業の中心で海上・陸上の交通の要所、物流の要所として地理的な重要性から多くの武将が港を手に入れようとしたことに起因する。
  大隅の文化財「民族文化財 (有形民族文化財)
鹿屋市野里の田の神
 
東串良町新川西の田の神 
 
 五穀豊じょうをもたらす農神として寛延4年(1751年)に建立された。柔らかい凝灰岩の丸彫りで、石台の上に両ひざで立ち頭にコシキをかぶり、右手にメシゲ、左手に鈴を持ち、表情は可憐である。この像と同型のメシゲ、鈴持ち田の神舞型のものが大隅に八体ほどあり、野里の田の神はその中でも最古とされる。 右手にメシゲを立てて持ち,左手には椀ほどの大きさの宝珠を持つ。前面腹部に大きなひょうたんと木の葉のようなものをつり下げている。この田の神の大きな特徴のひとつは2俵の俵の上に乗っていることである。像の高さ96cm。像の背面に文化4(1807)年造立されたことが刻まれている。大隅型僧型の複雑な田の神の代表である。
   
 旧根占町川北の田の神
台に団子と餅を彫刻、右手に杓子(しゃくし)、左手に摺子木(すりこぎ)を持つ。メシゲ,スリコギを左右対応して持つのが大隅半島の特徴であるが,享保16(1731)年造立のこの像は大隅では最古である。川北鬼丸神社参道の端にある。
 旧有明町野井倉の田の神
黒質の硬い石質の丸彫りで像の高さは76cm。長袖の上衣に,袴の足を前で組むようにした安座姿で右手には小さめのメシゲ,左手にはすりこぎをともに垂直に立てて持つのは,大隅半島に広くみられる型である。この型の中で年代が古く典型的なのが,この田の神である。寛保3(1743)年造立。
   大隅の文化財「民族文化財 (無形民族文化財)
 山宮神社春祭りに伴う芸能(鹿屋市) 山宮神社春祭りに伴う芸能(志布志市)
   
 山宮神社(鹿屋市串良町)の春祭りは、五穀豊じょうと家内安全を祈願して行われ、約400年の歴史を持つ伝統行事だ。山宮神社春祭りに伴う芸能は、「正月踊り(棒踊り)、鉤引き、田打」から成る。 志布志市安楽の山宮神社と安楽(やすら)神社ではその年の豊作を祈願する伝統行事の春祭りが行われる。祭りは稲に似せた竹串を境内に植える「お田植え」行事や浜下り、正月踊りが行われる。 
  四十九所神社流鏑馬 住吉神社流鏑馬 
   
 肝付町の四十九所(しじゅうくしょ)神社の流鏑馬は、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願する神事として900年近い歴史と伝統を誇り、同町新富の宮之馬場で奉納される。馬が走るのは、同神社から真一文字に伸びる宮之馬場という通りで、長さは330m。馬場を3回駆け抜け、合計九本の矢を射り、当たった数で豊作を占う古式豊かな伝統行事だ。 末吉町住吉神社の流鏑馬が、五穀豊穣や無病息災を祈願して奉納される。住吉神社の流鏑馬は、三ヶ所用意された的に鳥居の方から神社方向に馬を走らせて、疾走する馬上から的をめがけて矢を射る古式豊かな伝統行事だ。騎手の装束は鎌倉時代の巻狩のいでたちで、的に当たった数で翌年の豊作を占う意味もある。
御崎祭り 八月踊り 
   
1300余年の歴史を持つ御崎神社にまつわる祭りは御崎祭りと呼ばれ、春を告げる祭りとして知られ、二日間にわたって執り行われる。一日目の浜下りは、七つの集落・七浦を巡る巡幸で御崎神社の妹神がご神幸の神興に乗って、20余km離れた郡の近津宮神社にいる「姉宮」に新年の挨拶で会いに行く物語。その日は会えず、近津宮神社の仮宮で一晩過ごし、翌日会うのだという。二日目は近津宮神社で打植祭り、神舞が奉納される。 肝付町(旧高山)の本町(ほんまち)八月踊りは、五穀豊穣、無病息災を祈願して踊られる。男子は浴衣に黒の紋付羽織と菅笠(ジン笠)、女子は裾綿入れ裾模様の着物に、お高祖頭巾を被った独特な出で立ちだ。踊り手は櫓の周囲に輪をつくって踊る。踊りは、手首と指のリズミカルな動きに特徴がある。長い歴史を持つ本町の八月踊りは、昭和37年に鹿児島県の無形民俗文化財の指定を受け、本町の八月踊りの保存会によって継承されている  
  弥五郎どん祭り
  
 弥五郎どん祭りは,曽於市大隅の岩川八幡神社の大祭をいい、毎年11月3日に開催される。弥五郎どん祭りは、昭和63年、県無形民族文化財に指定され、県下三大祭のひとつに数えられる。一説によると、弥五郎どんは武内宿弥の化身あるいは隼人の酋長であると言われる。11月3日、午前1時に「弥五郎どんが起きっどー」のかけ声とふれ太鼓で弥五郎どん起こしの行事が始まる。身の丈4,85m、腰に長さ4,25mと2.85mの大小刀を腰に差した立派な弥五郎どんの、浜下りが始まり、子供たちに引かれた弥五郎どんが、市街地を練り歩く
   大隅の文化財「名勝登録)
志布志麓の三庭園
 
平山氏庭園

天水氏庭園 
国指定の庭園は、県内では磯の仙巌園・旧島津氏玉里邸庭園・知覧麓庭園に続くもので、歴史的文化遺産として高く評価された庭園である。志布志麓庭園は、志布志市街地東部の中世の山城の麓(ふもと)にあり、江戸時代の武家屋敷や寺院に起源し、近世以降さらに手を加えられつつ現在まで継承され、往時を偲ばせる独特の風趣のある庭園となって残っている。平山氏庭園・天水氏庭園・福山氏庭園の3件は歴史的文化遺産としてまた、芸術上、観賞上からも高く評価されて国指定文化財の庭園となっている。 「平成19年7月26日付けで、正式に国指定の名勝になった。
  大隅の文化財「記念物 (天然記念物)
 志布志枇榔島 稲尾岳 
 

 黒潮に洗われた巨岩・奇岩と枇榔の植物群
島には枇榔の群落のなかに、亜熱帯性の植物およそ二百種が共存しており、全島に繁茂する植物群はわが国の代表的原始林としてまれな植物相を示す。南側斜面には26種の様々な種類の枇榔が群落をつくっており、繁茂している。植物の群落構造がこのような形で残っている例はほとんどなく、枇榔島は学術上、地球でもまれにみる価値を持っているといわれる
垂直分布を見せる稲尾岳の照葉樹林  樹林内設置案内板より
稲尾岳は
錦江町田代・南大隅町佐多・肝付町内之浦にまたがる。植生はシイ、タブノキ、イス(ユス)、アカガシ、スダジイ等の照葉樹森林が中心で、標高が高くなるにつれてヒメシャラが混在し、さらに上部にはモミを主体とした森林の垂直分布が見られ、世界的にみて希少な森林とされ、照葉樹の原生林が残っていることから,その学術的価値により天然記念物に指定された。
 溝ノ口洞穴 肝付町(内之浦)ヘゴ自生地
 
 溝ノ口洞穴(みぞのくちどうけつ)は霧島山系の地下水の浸食作用によってできた地下洞穴で、入り口の横が13.8m、高さ8.6m、全長224mの大きな洞穴である。内部の一番広い部分は幅が40m、狭い所で15mあり、天井はアーチ型になっている。成因は、はじめ凝灰岩の小さな割れ目に沿ってにじみでた地下水が下降の途中、岩石の一部も溶解して運び去り、割れ目が流水の浸食作用で次第に大きくなって、徐々に空洞が拡大されてできた。 肝付町船間地区は、太平洋に面していて温暖な気候に恵まれ、谷間や民家にヘゴが自生している。ヘゴは熱帯・亜熱帯性のシダ植物の一種で,幹の高さが4 m にもなるヘゴ科の木生シダである。日本の自生地は、分布の北限域となるため、各地域にわたって指定され県内では船間の他に旧笠沙町、旧根占町などが大正15年10月27日、国天然記念物に指定された。船間のヘゴは漁港へ向かう坂道の途中にある。
  火崎のソテツ(肝付町) 佐多のソテツ (南大隅町)

火崎のソテツは自生北限地として1923(大正12)年3月、国の天然記念物に指定され、農林水産省の管理のもとに保護されている。ソテツ林の中にある御崎神社は海の守り神として江戸時代より漁師の尊崇を集め、大漁と航海安全が祈願されている。  
 
海中公園のある田尻の沖は黒潮が真っ先に流れ込む海域で、沖には枇榔(びろう)島が浮かび、湾奥には枇榔やソテツなどの暖帯性植物が茂る山が迫り、漁港のある裏山は断崖の絶壁が続き、岩にからみつくように国の特別天然記念物のソテツが自生する。
ソテツは県県本土で薩摩半島側の山川、坊津と大隅半島側の南大隅町(佐多)、肝付町(内之浦)で自生が認められ、それぞれ自生の北限地として県の天然記念物に指定されている。ソテツはイチョウとともに裸子植物(マツやスギの仲間)に属し、乾いた原野の岩間の間に生え、佐多岬などでは海岸近くの絶壁に生育している。 
 塚崎の大クス  志布志の大クス
   
 塚崎のクスは塚崎古墳群一号墳(円墳)の上に生えている国の天然記念物となっている。蒲生の大クス、志布志山宮神社の大クスに次ぐ巨木で、樹齢推定1200年から1300年以上といわれ、高さ25メートル、目通り幹廻り約14メートル。塚崎大塚神社の神木とされ、地域の崇敬受けている。現在も樹勢が盛んで樹上にはオオタニワタリをはじめ多くの植物が着床している 志布志山宮神社の境内にある大クスは、推定樹齢約1300年、根廻り3225メートル、樹高23.6メートルもあり昭和16年に国の天然記念物に指定されている。山宮神社は奈良時代(約1300年前)の創建と伝えられ、境内のクスは天智天皇の御手植えとの伝説が残る。ほかに樹齢300年の広葉杉などの大木が茂っており雄大な景観を呈している。 
 登録有形文化財  有形文化財(建造物) 
 川上中学校本校舎 二階堂家住宅 
   
1949年(昭和24年)建築の川上中学校造校舎は、切妻造桟瓦葺(きりづまづくりさんがわらぶき)で校庭の東寄りに南北棟で建ち、国土の歴史的景観に寄与すると認められ、2009年、国の登録有形文化財に登録された。隣接する肝付町立川上小学校が休校となったことから2012年3月13日に休校式が行われた。 土間(ウスニワ)を設け、炊事をする作業棟の「なかえ」とトコや棚をもつ格式ある部屋(トコノマ)の「おもて」の二棟からなる「分棟型」とよばれ,鹿児島県南部の特色ある民家として歴史的価値が高い住宅とされる。1975年(昭和50)、この二階堂家住宅(おもて・なかえ)が国の重要文化財(建造物)に指定され、保存されてきている。 
 

 
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