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東串良の史跡文化財東串良町
下伊倉の田の神  熊野神社の宝篋印塔  専念寺の仁王像

東串良町には、国指定「史跡名勝天然記念物」の唐仁古墳群の他に下伊倉の田の神、熊野神社の宝篋印塔、専念寺の仁王像等、貴重な多数の文化財が散在する。探訪日 2009・2・10

下伊倉の田の神
下伊倉集落の野崎へ向かう狭い道路に面し、東向きに俵の上に立っている。高さ96.5cm、口は八の字に、眼は細く眠るような顔立ちで、裾長の長衣を紐で結び、前に長く垂らしている。シキは背後に長く垂らして頭に被り、右手にメシゲ、左手に宝珠を持ち、ヒョウタンと木の葉状のものを前腹部にぶら下げて二俵の俵の上に立っている。大隅型僧侶型の複雑な形態を持つ代表的なものである。

 県指定有形民俗文化財下伊倉の田の神の全身体

下伊倉の田の神遠景

熊野神社の宝篋印塔(ほうきょういんとう)
肝付兼経夫妻の宝篋印塔(ほうきょういんとう)町指定文化財(史跡)
ここの石塔は相輪の宝輪数その他の彫刻、形状等から鎌倉時代のものである。更に笠石の蓮弁刻出(れんべんこくしゅつ)は肝付氏をあらわしており相輪の文様、伏鉢の刻出は時代的に見て肝付氏二代兼経夫妻のものとされる。宝篋印塔(ほうきょういんとう)はもともと仏舎利(ぶつしゃり)及び宝篋印陀裸羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納める塔であったが、平安時代の末頃から供養碑塔にこの形が用いられるようになった。昭和54年4月1日 町指定文化財(史跡)  最終更新日 2015/03/09

熊野神社境内横に鎮座する仁王像、五輪塔、肝付氏二代兼経夫妻の宝篋印塔
 
肝付氏二代兼経夫妻の宝篋印塔。向かって左側塔(兼経)の高さは3.06m、右側の塔(妻)は2.12m。
 
笠石の蓮弁刻出、相輪の文様、伏鉢の刻出からみて肝付氏二代兼経夫妻のものとされる。
兼経は初代兼俊の長男で 肝付氏二代目をついでいる。ちなみに二男が兼綱で救仁郷、三男が兼幸で北原、四男が兼友で検見崎を名乗っている。兼友の築城とされる検見崎城跡が肝付町にある。more検見崎城

専念寺の仁王像
明治2年の廃仏毀釈を逃れた専念寺の仁王像は、柏原専念寺の一角に台座する。貞享5年(1688年)、十世の住職が建てたとされる。

右側金剛像は高さ2.1m、左側力士像は2.14m

専念寺一角に台座する仁王像遠景