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高山城跡 肝付町(旧高山町)
国指定重要文化財高山城跡
高山城は高山本城又は山之城と称し、肝付城とも呼ばれている。天正8年12月第18代兼道が阿多に移されるまで肝付氏の居城であった。築城時期については諸説があるが不落の名城であった。文献の上では肝付兼久が叛(そむ)いたといって島津氏11代忠昌が自ら柳井谷に本陣を構えて永正3年8月6日から10月12日まで攻撃したが攻略できなかったという記録が残る。高山城は東方は国見連山に連なり南と北は峡谷を隔てて小高い丘陵地帯となっている。城の正面は西南に向いている。城内は本丸・二の丸・山伏城・奥曲輪などが空堀で区画され、大来目神社・枡形・馬乗馬場・湯沸場・土塁・搦手(からめて)・岩石をくり抜いた切り通し・大手門などがある。また、城の西側の低地には土小路・弓馬地・馬乗馬場があり、総面積50ヘクタールの大規模な城である。高山城は中世の城郭として学術上貴重な文化財といわれ、昭和20年2月22日に国指定史跡となった。(現地案内説明文参照)  最終更新日2013・2・15

高山城跡遠景

高山城跡近景

本城橋から高山城跡全景を望む。

高山城跡散策

大隅国高山城縄張図<案内板より>
高山川と本城に挟まれたシラス台地の海抜82mを最高地とする南北550m、東西1300m、面積55万uほどを最盛期の城域とする。 

城跡入り口付近

修験者がつめていた城

城館の出入り口、虎口(こぐち)の一形態、枡のような四角の地。
二の丸跡は南北に長い長方形状の曲輪で、虎口を東側に開き、南北2段からなっている。
 
空堀(水のない堀。堀底を通路にしてある。山城に多く敵を防ぐのに空堀は水堀よりすぐれているといわれていた)

馬蹄形で最高所82mの地に築かれ、平坦部は東西二段からなり、虎口は西側に開いている。

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