ふるさと探訪記 文化財 王子町水神祭 鉦踊りと和田井堰 ふるさと情報室へ 探訪記へ
  
 王字町鉦踊り  光同寺鉦踊り  和田井堰とは  和田井堰と用水路
 鹿屋市王子町和田井堰(いぜき)の水神祭で奉納される鉦(かね)踊り
鹿屋市王子町の水神祭が10月13日、和田井堰公園であった。水神祭の起源は、江戸時代後期の約260年ほど前に現在の王子町から白崎・新川町の市街地を経て川東町へ至る13kmの新田川が完成し、一帯の水田が開発されたのを記念し、豊作感謝を兼ねて始まったとされる。今年の水神祭では市の無形文化財に指定されている光同寺と王子町の両鉦踊りがそれぞれの保存会によって奉納された。和田井堰の水神祭は、毎年旧暦の8月28日に執り行われ鹿屋市の無形民俗文化財指定(王子町鉦踊り)(平成2年11月8日 市指定) 
王子町鉦踊りとは   水神祭で奉納される王子町鉦踊り
  王子町の水神祭は、毎年旧暦の8月28日に和田井堰公園の広場で鉦踊りが奉納される。王子町の鉦踊りは当日の午前中に集落の広場や道路、各戸を回り、地域を一巡して午後から和田井堰公園の水神祭に望む。鉦踊りは、両側に二人が離れて立ち、両手を水平や垂直に伸ばし、からだを曲げたり伸ばしたりして、鉦を摺り合わすようにしてたたく。締太鼓と鉦の奏者は両者の間にそれぞれ横一列に並び、締太鼓のリズムに合わせて鉦を打ち、左足を一歩踏み出して踊る。服装は白い着物にハチマキ、五色のタスキをかける。
王子町鉦踊り風景   
集落で演じられた王子町鉦踊りの風景今年は二組で集落をまわり、広場や道路、各戸で演じられた。
和田井堰公園で踊られた王子町鉦踊り   
高隈山山系を背景に勇壮に踊られる王子町鉦踊り。午後は会場を和田井堰公園に移し、水神祠の前で奉納踊りが終わると公園の広い広場で鉦踊りがスタート。棒踊りの踊り手は全て男性で総勢30名前後(今年は小学生7名、中学生3名が参加)
   
踊りの後半は腰に縄を巻いた古老らのからす舞も加わり、にぎやかな鉦踊りとなった。
 光同寺鉦踊り   王子町水神祭に奉納される光同寺保存会による鉦踊り風景
光同寺保存会による鉦踊り風景 














王子町銭太鼓
   
王子町の鉦踊りに続き、用水の最終受益者である川東の光同寺鉦踊りがスタート。踊り手は大人8名
   
   後半は円の隊形で静から動へ足の動きに特徴があった。
 
鉦・太鼓の音と踊りが一体となり、勇壮・活発・軽快な踊りだった。 
 追記:かつては和田井堰の河岸広場で各集落ごとの「八月口説き踊り」などの民俗芸能も繰り広がられ、市がたつほどの見物人で賑わったという。今年は。王寺町集落のの広場で、約50年伝承されているという銭太鼓がハンヤ節に合わせてにぎやかに演じられた。
 
50年以上も伝承されているという王子町の銭太鼓
 
王子町銭太鼓動画
 和田井関とは    和田井堰の歴史
   和田井堰は西暦1753年(宝暦3年)の王子・曽田・白崎・新川・川東地区の湿地帯で不毛の地を160haの開田により柴井堰が築造された。用水路の延長は王子町から川東町川北まで約12kmに及んでいる。明治12年石積の井堰に改築されていたが戦後間もない台風で災害を受けたため、昭和23年関係機関の協力を得てコンクリート井堰に再度改築された。昭和50年代からの急速な都市化と時代の変遷に伴い、受益面積は62.2haと減少していった。しかし今でも用水路は水を満々とたたえ、9月には豊穣の秋を迎える。昭和51年6月の豪雨により肝付川(鹿屋川)が氾濫し、市街地の朝日町が家屋流失等の災害を受けたのを機に、鹿屋分水路計画がもちあがり、それに伴い和田井堰も移築されることになったため、対策委員会を設置し建設省と50数回に及ぶ交渉を重ね、平成12年3月、旧和田井堰ヵ所から約700m上流の地に近代的な鋼製自動転倒堰が完成した。・・・記念碑碑文より 
  水神様と和田井堰

水神様と和田井堰










肝付川旧河道と井堰 










現在の和田井堰
 
 和田井堰公園内北端にある井堰関係記念石碑と水神様(スジンサア)の石祠水神祭りでは水神様の石祠や石碑に水神の旗(色紙を切ってつないだ五色の紙旗)を細竹につないで立てる。その前で奉納の鉦踊りが踊られる。
   
公園内にあるこの小さな池と流れは肝属川の旧河道で現在流れている水は近くにある山からの湧水である。かつての和田井堰はここ親水公園の流れ口付近にあつた。
   
  現在稼働している近代的な鋼製自動転倒堰。 平成12年3月、旧和田井堰ヵ所から約700m上流のこの地に近代的な鋼製自動転倒堰が完成した
   
   用水路を辿る(和田井堰と農業用水路)
和田井堰農業用水路を辿る   和田井堰の用水路は王子町から川東川北まで約12kmに及ぶという。1753年の柴井堰築造から明治12年に石積の井堰へ改築。昭和23年、コンクリート井堰へ再度改築。平成12年、近代的な可動式井堰へと変遷しながら現在に至っている。和田井堰に関わった先人達の偉業を偲び、上流から下流へ約12kmの用水路の流れを辿ってみた。用水路縁には四季折々風情を感じさせる風景があった。川東光同じ寺の用水路脇には田の神像が立ち、刈り取りを終えた田園風景が広がっていた。
 
   
和田井堰から延びた用水路は旧市役所跡付近で 本町方向へ流れを変え、白崎方面へ延びていた。
   
四季折々の風情を感じさせる用水路風景 白崎町
   
  めずらしい光景を発見、用水路脇の柵にはたわわに実ったバナナの房が垂れていた。 川東町
   
 用水路脇に立つ田之神右手にメシゲ、左手にスリコギを持ち、川東の水田地帯を見守る田の神。
   
田の神が見下ろす田園風景
 
 和田井堰用水路が潤す川東の田園地帯では取り入れ・脱穀の時期を迎え、秋の深まりを感じさせた。 

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