ふるさと探訪記TOPへ

台場公園・薩英戦争砲台跡/南大隅町(根占)

台場は、江戸時代末期に藩内の沿岸に築かれた砲台で、台場公園には薩英戦争のなごりを残す砲台が復元展示されている。史跡の台場跡は町の文化財に指定されている(昭和43年12月)。
文久2年(1862年)8月21日島津久光の一行は薩摩(鹿児島)に帰る途中、武蔵生麦村(現横浜市)で行列を乱した英国人リチャードソンを斬殺し二人に傷を負わせた。このことが原因となって薩英戦争が始まった。文久3年2月薩藩は英艦の錦江湾来攻を察知して沿岸の防備を固めたがこの時本町の根占港津柱神社裏と現在地そして上ノ山の三カ所に五番陣(小根占、大根占、佐多、大姶良、鹿屋)の郷士が主になって台場を構築した。今、この砲台の跡を土地の人々は「台場跡」とよんでいるが台場の3メートル、幅4メートルのこのみかげ石の石垣は延長60メートルにも達し、中央に砲身を構えた凹部が二つ残っている。近くにはエンショウ倉(煙硝庫)もあった。薩英戦争の際、発射する機会はなかったが錦江湾沿岸に数十の台場が構築されたなかで当時の台場として原型をはっきりととどめているのはこの台場だけという貴重な史跡である。

国道269号線沿いに設置された台場公園案内板

復元された砲台の設置してある台場公園

薩英戦争の名残を残す復元された砲台

台場の手洗い鉢


台場の 手水鉢
島津二十八代斉彬(なりあきら)は嘉永六年十一月十二日(1852)大隅、日向の各郷の海岸、各所砲台総連状況巡視のため台場を巡検しここで休息した。そのおり、この石の 手水鉢が使用されたという。

台場風景


松の木越しに望む開聞岳

海岸は、花崗岩の丸い大岩が一面にころがっている。
最終探訪日 2008・10・27