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鹿屋城(亀鶴城)跡・城山公園鹿屋市北田町

鹿屋城(亀鶴城)は鹿屋市市街地北田町の城山公園にある。ここはかつて鹿屋氏や伊集院忠棟、島津相模守久信らの居城であった。山城であった城山も今は開発が進み空堀を残すのみであるがその歴史的な価値は大きい。山頂に城跡展望台からは市街地を一望のもとに眺められる。公園の基底からは今も豊富な地下水が湧出している。かつてはこの湧水を利用したプールが市民に親しまれていたが現在は日本庭園がつくられ、市民の憩いの場となっている。山頂公園一角には「鹿屋小唄」を作った野口雨情の詩碑が立つ。  最終探訪日・更新日 2015/04/01

 鹿屋城址史跡 城山公園・日本庭園   城山公園の桜    鹿屋城址野口雨情詩碑
  鹿屋城(亀鶴城)史跡
 鹿屋市街地の隘路にせまる火山灰台地を巧みに利用した中世終末期の典型的山城である。城郭は本丸(貯水池)、二の丸(公園)、中城(公園)、松尾城(幼稚園・老人福祉センター)、大名城、今城、鳥添城などに分かれ周囲およそ2キロメートル、大手口は南面にあり、いま大手町の地名を残す。両面の水濠は現在、駐車場、公園に変じている。この城の始まりは「古城主由来記」に「島津久経時代津野四郎兵衛、鹿屋城主」とあるから、だいたい鎌倉時代承久年間頃とされる。その後は鹿屋氏の居城となる。鹿屋氏没後、1580年(天正8)から島津の有力武将伊集院忠棟が15年間居城、彼が文禄4年(1595年)都城に転封後は島津相模守久信が一時居城、その後廃城となった。
 鹿屋城へのアプローチ
   
 駐車場から城跡へ続く道を歩き、案内板を過ぎると城郭入り口があり、東の本丸方向へ開口していた。本丸、二の丸を正面にして左手が鹿屋城の外郭となる中城、同じく右側が今城。
   
入り口の 史跡鹿屋城跡の標柱が立つ切り通しの道を歩くとすぐ右手南側に今城城郭へ続く道があった。
 今城へ
   
 さらに一段登ると 今城郭部の広場があった。
 
 広場の西側にははっきりした土塁が見られた。
 鹿屋城二の丸へ
中城と今城の間の浸食され谷間となって空堀の道を抜けると入り口に亀鶴城址の石碑が立っていた。下の段の広場には展望所や石碑が立ち市内を眺望する東側には土塁が積まれていた。
 
公園となっている二の丸跡に立つ亀鶴城址の石碑
 
二の丸北側方向
 
二の丸南方向の展望所、石碑
 
市内を望む東側は土塁が積まれ絶好の展望台になっていた。 
 鹿屋城本丸・大手門口へ
 ひな段状の城塁から北側にはシラスの侵食谷を利用した深い空堀があり山頂の本丸跡は水源池となっていた。本丸を後にして東側の大手門をめざした。大手門口には城の抜け穴が残っていた。
 
二の丸から本丸へ向かう途中の深い空堀
 
 鹿屋城本丸跡地は配水池となっていて立ち入り禁止となっていた。2014/01/17
 
本丸跡
 
城の抜け穴、現在は危険防止のため封鎖されている。明治の頃までは子供がコウモリをとって遊んでいたという。(鹿屋市誌)
 
城塁東側の南端に大手門口が開いていた。
 
鹿屋城址説明板
城山公園・日本庭園
 かつて亀鶴城本丸から西にあたるところに30アールぐらいの天然の池があり北田池と呼ばれていた。その後、プールができ近代になって公園化され日本庭園ができ市民の憩いの場となっている。

城山公園日本庭園

湧水を利用した城山公園の日本庭園

湧水を利用した城山公園の日本庭園背後が鹿屋城址である。

城山公園駐車場の広場では恒例の春の木市が開催される

城山公園の桜
公園高台の展望所からは市内を一望できる見晴らしの良い場所になっていて、桜の開花時期、枝ごしに市街地を望みながら桜の花が楽しめる。
 
城山公園の桜  2015.04.01

城山公園高台にある公園の桜と園内風景  2009・3・25
 
城山公園の桜 2015.04.01
 
城山公園の桜。展望所から市街地眺望  2009・3・25

展望所からの市内眺望

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