ふるさと探訪記 文化財 鹿屋市中尾遺跡と象嵌装大刀 ふるさと情報室へ ふるさと探訪記へ
  鹿屋市吾平町の「中尾地下式横穴墓群」から出土した象嵌装大刀(ぞうがんそうたち)
1996年に鹿屋市吾平町の「中尾地下式横穴墓群」六号墓から出土し、さびに覆われた大刀が近年CT撮影により刀のつばなどに彫られた心葉文が判明し、専門家だけでなく市民の間で話題になっている。象嵌を施された刀が出土したのは鹿児島県では初めてで、つばに心葉文を持つ刀は九州で4例目、全国でも16例目という貴重な発見だ大刀はほぼ直刀で、柄から先端まで全長72cm。象嵌(ぞうがん)部位は「鍔(つば)の両面」、「はばき(つばを固定する金具)」、「柄頭(つかがしら)」の三ヶ所である。刀のツバとハバキに心葉文、ハバキの上部と柄頭の金具に二重半円文の象嵌が施されていた。象嵌とは、ある素材に別の別の素材をはめ込む技法のことで、中尾遺跡出土の刀には鉄地に銀で施されていた。ハート形に見える心葉文は、古代中国で尊ばれた想像上の鳥「鳳凰(ほうおう)」が窒広げた姿を表現しているとされる。発見された嵌装大刀は、今からおよそ1500年前の古墳時代の刀で時の大和政権が大隅の豪族に与えたのではないかとされる。このことは県内初の貴重な発見というだけでなく古墳時代のオオスミが中央政権とどう関わり、役割を果たしていたかを考えるきっかけになるだろう。
象嵌装大刀が出土した中尾遺跡(中尾地下式横穴墓群)の発掘現場と関連資料が展示してある串良ふれあいセンター内歴史民族資料室を訪ねた。
2012/10/13
 「中尾地下式横穴墓  鹿屋市吾平町の「中尾地下式横穴墓群」の六号墓から出土した象嵌装大刀とは!!.  
中尾地下式横穴墓群から出土した象嵌装大刀 
鹿屋市吾平町の「中尾地下式横穴墓群」の六号墓から出土した象嵌装大刀
 象嵌が施された大刀と象嵌部位
 象嵌部位は「鍔(つば)の両面」、「はばき(つばを固定する金具)」、「柄頭(つかがしら)」の三ヶ所で ほぼ直刀で柄から先端まで全長72cm
「鍔(つば)」、「はばき(つばを固定する金具)」、「柄頭(つかがしら)」の文様   
刀のツバとハバキに心葉文、ハバキの上部と柄頭の金具に二重半円文の文様
ツバ部分のCT画像   
ハート形に見える心葉文は、古代中国で尊ばれた想像上の鳥「鳳凰(ほうおう)」が窒広げた姿を表現しているとされる
 出土金属器  
中尾地下式横穴墓から出土した鉄刀、刀子(とうす)、鉄 鏃(てつぞく)、耳環(じかん)などを含めて平成23年2月23日に鹿屋市指定文化財に認定。刀子(とうす)とは、ものを切る、削るなど加工の用途に用いられる工具の一種。
  中尾遺跡(中尾地下式横穴墓群)の発掘現場を訪ねる
   吾平の町を過ぎ、吾平中学校から1.7km,。台地を登り切った町営運動場から約1kmほどの地点に「象嵌装大刀外中尾6号地下式横穴墓出土金属器」を表示した白い案内板が立つ。現地には古墳群のある場所は埋め尽くされ、古墳らしき痕跡はなく、表示板が立つのみで見過ごしてしまいそうな場所だった。こんな場所になぜ。その時代、地元には象嵌の技術はなかったとされる。とすれば、象嵌装大刀を持っていた人物は誰なのか、なぜ持っていたのか。謎は深まるばかりだ。謎とロマンを秘めた中尾地下式横穴古墳から当分目を離せない。
象嵌装大が出土した中尾遺跡の発掘現場   
 吾平の町から吾平山上稜へ向かう道路脇の現地に立つ白い案内看板
中尾遺跡発掘現場一帯の風景 





航空写真による発掘現場と遺跡地図




吾平山上稜側から現地一帯の風景
 
国見山系を背景に中尾地下式横穴墓群場所表示の看板
   
航空写真による中尾遺跡の発掘現場と中尾地下式横穴墓群の位置地図 
  串良ふれあいセンターの歴史民族資料室を訪ねる
 串良ふれあいセンター内歴史民族資料室














もっと、もっと知りたいね、串良ふれあいセンターの歴史民族資料室を訪ねた。鹿屋市串良ふれあいセンターは平成17年に開館した総合福祉施設で館内の一室に歴史民族資料室があった。正面入り口付近には鹿屋市吾平町の中尾地下式横穴墓から出土した象嵌装大刀を中心に関連するたくさんの貴重な資料が展示されていた。資料室の壁面資料には市内の西ノ丸遺跡から出土したという実物大V字溝の土層はぎ取り標本があり、目を引いた。各コーナーには市内で出土したつぼや勾玉、鉄鏃や短甲などの鉄製品など埋蔵品が多数展示されていた。
 
串良ふれあいセンター

歴史民族資料室