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二階堂家住宅肝付町

重要文化財  二階堂家住宅(二棟)「おもて」と「なかえ」
二階堂家の住宅は、肝付町新富、肝属川支流高山川のふもとに位置し、裏に竹林の丘陵をひかえた美しいたたずまいを見せる。土間(ウスニワ)を設け、炊事をする作業棟の「なかえ」とトコや棚をもつ格式ある部屋(トコノマ)の「おもて」の二棟からなる「分棟型」とよばれる形式をもつ。現在の住宅は、「おもて」が文化7年(1810)、「なかえ」が明治22年(1889)の建築であるとされる。
この住宅は、規模が大きく、作りが丁寧で、おもての床の間に、床と脇棚が設けられるなど、武家住宅の格式を示す。旧薩摩藩領に分布する分棟型民家のうち、手法の発展した形式をもつもので、鹿児島県南部の特色ある民家として歴史的価値が高い住宅とされる。
二階堂家は郷士で鎌倉時代に鎌倉から薩摩に移り住み、寛文4年(1664)に現在地に居を構えたと伝えられる。
1975年(昭和50)、この二階堂家住宅(おもて・なかえ)が国の重要文化財(建造物)に指定され、保存されてきている。

二階堂家住宅の「おもて」と「なかえ」 手前が「なかえ」、後方が「おもて」


二階堂家住宅の「なかえ」

土間(ウスニワ)、炊事・作業棟の「なかえ」

棚とトコをもつ格式ある部屋(トコノマ)を備えた居室棟の「おもて」


二階堂家の裏山一帯に広がる孟宗竹林(美林約20000本)

城山を背景に作られた庭園風景

ps;
○この住宅は、昭和60年8月末日の台風第13号により、災害を蒙ったので、文化庁は、翌春からその保存修理工事に着手し、同62年6月これを完成した。上記罹災により、住宅の現状保存が困難となったので、同敷地内の南西約30メートルに移築し、南向きを東向きにした。

最終探訪日 2009・10・18