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御崎祭り 南大隅町

九州最南端の佐多岬近くにある御崎神社は708年(和銅元)の創建というから1300余年の歴史を持つ神社だ。神社にまつわる祭りは御崎祭りと呼ばれ、春を告げる祭りとして知られ、二日間にわたって執り行われる。一日目の浜下りは、七つの集落・七浦を巡る巡幸で御崎神社の妹神がご神幸の神興に乗って、20余km離れた郡の近津宮神社にいる「姉宮」に新年の挨拶で会いに行く物語。その日は会えず、近津宮神社の仮宮で一晩過ごし、翌日会うのだという。二日目は近津宮神社で打植祭り、神舞が奉納される。<2005年4月に鹿児島県の無形民俗文化財に指定>

最大の難所「どんひら坂下り」風景
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一 日 目    浜下り動画  二 日 目  打 植 祭 り
一日目  浜下り・ご巡幸風景
 祭りの一日目,御崎神社の神を御崎柴にお移しし、御崎神社の妹神が七浦(田尻、大泊、外之浦、間泊、竹之浦、古里、郡)の旅所を通り、20予km離れた近津宮の姉神に会いに行く旅が始まった。
先祓いとして御輿の前に鉾が先導足運びの所作に独特な特徴がある。
地区住民が巡行を迎え入れて接待。祭りの神事で各集落の安全、無病息災、豊漁を祈願。
儀式では鉾と傘は除々に前に倒し、できるだけ地面近くまで下げ、邪気を祓うのだという。
ご神幸の難所「坂元のどんひら坂下り」、そして郡の仮宮へ
七つの集落・七浦へはそれぞれ車で移動するが坂元から郡へ向かう最後のコースは急坂な曲がりくねった山道を御輿を担いで下る最大の難所だ。
最大の難所は、狭く曲がりくねった坂道を下る坂元の「どんひら坂下り」だ
坂道の途中、開けた場所があり、そこから眺める郡の風景は絶景だ。写真右奥に浜尻海岸と漁港がある。
   
  坂を下りきると坂元の御旅所で神面をかぶった郡集落の子ども達が出迎え、仮宮の途中まで案内する。
   
郡の「仮宮」まであと一息。列を整えて仮宮までご神幸が続く。 
   
 近津宮神社のすぐ下に作られた「仮宮」に到着、御祭神は「仮宮」で一晩を過ごし、翌日会いに出かけるのだという。
※御崎祭り一日目は、2012年2月18日の御崎祭り探訪記録です。  フォトコン・作品2012

動画で見る御崎神社の浜下り・ご巡幸風景

 二日目   二十日祭り打植祭り
 二日目は仮宿周囲に二十日市が立ち、農具や苗物などの出店や露店で賑わった。午後から仮宮の御祭神を神輿に移し、近くの 近津宮神社で妹神様と姉神様の対面の儀式が行われ、無事再会。狭い境内ではリズムよい太鼓と笛の音に合わせ、神輿と鉾が境内を練り歩き、御神酒がまかれ、祭りは観客一体となって最高のステージを迎えた。祭り後半は打植え祭りが行われ、神舞(刀舞い)が奉納され、狭い境内は一日中明るい笑いに包まれた。翌日、下岳でほら貝を吹いて神事を行い御神明(妹神)は岳々を飛んで御崎神社へ帰るのだという。
 祭り風景
   
かつては二十日の日に市が立ち、打植祭りが行われていたので二十日祭りとも呼ばれる。郡小学校校跡地の会場には農具や花苗など出店や露店で賑わっていた。
   
 午後から仮宮の御祭神を再び神輿に移す神事があり、神輿は 幅1m足らずの狭い急坂階段を一歩ずつ、姉神の待つ近津宮神社へと進み、姉神と無事再会。
   
 狭い境内ではリズムよい太鼓と笛の音に合わせ、神輿と鉾・笠が境内をぐるぐる廻り、御神酒がかけられ、祭りは観客一体となり最高のステージを迎えた。
   
御崎祭りで大切な役割を果たす鉾竿は、腰を支えに鉾を上・下・水平に保つ高度な技が必要とされ相当な体力と技術を要する。
   
動から静へ。みんなが見守る中、神輿が静かに慎重に祭壇へ安置され、打植祭りのステージへ。
 打植祭り
五穀豊穣を祈願して行われる打植祭り(ウチウエマツリ、ウツエマツイ)は、境内を田にみたてて種籾をまき、馬鍬を牛に引かせて田を耕し田植えの準備をする神事だ。地元の子どもたちが参加するユニークなカギヒキも行われた。打植祭り恒例のベブ(牛)が登場し、方言を交えた所作でモガ(馬鍬)を引く田おこし風景が演じられると狭い境内は笑いでつつまれた。後段では刀舞が奉納された。
   
境内を田に見立てて打植祭が始まる。はじめは神官による種もみまき
   
種籾播きが終わると、カギヒキが行われた。御崎祭りのカギヒキは子どもたちが一人一人木製のカギを持って互いに引き合うユニークな神事だった。 
   
 次に模型のベブ登場。ベブツケ(牛つかい)が牛褒めをし、フグリをからかったりして大爆笑。モガ(馬鍬)をつけて田をならし、牛を左・右・後方向にあやつる所作が方言を交えておもしろおかしく演じられ、狭い境内は笑いの渦につつまれた。
※ 二日目の二十日祭りは2014年2月16日に開催された。
 後書き雑感: 「地域と地域を繋ぐ、人と人を繋ぐ」御崎祭りを探訪して
日本本土最南端にあり、奇祭とも称される南大隅町の御崎祭りは、祭り自体の物語性は別として、祭りを通して「地域と地域を繋ぐ、人と人を繋ぐ」、現代社会に足りないものを祭りが教示しているようで興味深かった。打植祭りは大隅半島各地でよく見られる神社の春祭りの一種で演目の「カギヒキ」は一般的には二組に分かれて引き合うことがが多いがここでは子どもたちが主人公となって円の中心をぐるぐるまわりながら引き合っていた。カギをお互いにからませ引き合う光景があたかも心と心をつなぐカギヒキのようでユニークだった。田おこしをするベブツケ(牛つかい)に扮した二人が今は耳にすることがない農耕時に牛を制御することば「ヒダヒダ(左へ)」、「コッコッ、コー(右へ)」など当時の田おこし風景が方言を交えておもしろおかしく演じられ、狭い会場は笑いに包まれた。伝統祭りを通して方言等の言語文化もしっかり継承されていくんだというおもいを痛感した。
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