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大慈寺志布志市

志布志市にある大慈寺は、臨済宗京都妙心寺(みょうしんじ)の末寺である。開山は玉山玄提(ぎょくざんげんてい)和尚で、南朝方の武将として活躍した楡井(にれい)頼仲が招請し、室町時代興国元年(1340)に創建される。文安元年(1444)には、禅宗の地方普及に伴って「臨済宗十刹(じつさつ)」(すぐれた10のお寺)に加えられる。
藩政(江戸)時代には「志布志千軒の町」とうたわれるほどの盛況を呈し、島津氏の庇護を受け、16の支院と100名以上の僧坊がいた。明治2年の廃仏毀釈により一時廃寺となったが、明治12年(1879年)、西郷・大久保にも多くの影響を与えたとされる柏州(はくしゅう)和尚の努力によって寺号を復し、旧大慈寺宝地庵跡に再建され、現在におよんでいる。門前の仁王像のほか貴重な文化財が県の指定を受け、収蔵されている。

大慈寺本堂と境内


大慈寺入り口門柱と仁王像

大慈寺境内下にある庭園風景

本堂境内の風格のある五葉松と歴史を物語る水溜
本堂境内にある水溜には明和6年や石工名の文字が刻まれている。明和6年は1769年

仁王像(県指定文化財)
大慈寺の左側に立つ金剛力士像は、廃仏毀釈により、一時は土中に埋まっていたが、明治13年に復元された。江戸時代(1682年)の作で、石工は藤田次郎右衛門とされる。
大慈寺の文化財は鹿児島県の寺院としては比較的宝物の散逸が少ないとされる。大慈寺には上記の仁王像の他、宋で作られた宋版大般若経(そうはんだいはんにゃきょう)や天皇の手紙、後柏原天皇御宸翰(ごかしわばらてんのうごしんかん)等,創建以来の多数の貴重な文化財が県の文化財の指定を受け、収蔵されている。


大慈寺開山堂
大慈寺近くにある開山堂は大慈寺の開山玉山和尚入滅の地とされる。


幕末の頃の大慈寺 天保14年(1843年)薩摩藩編集の「三国名勝図会」より
「三国名勝図会」資料提供は大慈寺 2009・2・1


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