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歴史探訪  法 華 寺  
 
  法華寺探訪〜法華寺の史跡建造物と庭園散策〜
 法華寺探訪  史跡建造物  庭園散策  華 楽 園  万葉歌碑
 はじめに 法華寺探訪
法華寺探訪のきっかけ  「日本総国分寺」である聖武天皇建立の東大寺に対して、法華寺(ほっけじ)は、光明皇后の誓願で「日本総国分尼寺」として建立された。以前、東大寺を探訪したことがあるので「国分寺」をキーワードにして機会があれば法華寺を探訪したいと思っていた。今回、平城京跡散策を兼ねてその機会がやってきた。法華寺は、世界遺産の東大寺に比べると比較にならぬほどこじんまりとした静かな佇まいを見せる寺だったが1300年前の都で繰り広げられたドラマを偲ぶにふさわしい深い歴史を持つ寺だった。
 
法華寺とは 法華寺の歴史
 法華寺の歴史  法華寺は、光明皇后の父である藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として創建した。正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)で本尊は十一面観音立像(国宝)。法華寺の歴史をひもどくと、和銅3年(710)に平城京に遷都したとき右大臣藤原不比等の邸宅が現在の寺域に築かれた。不比等が養老4年(720)に62歳で亡くなるが、不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して、天平17年(745年)この皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりとされる。その後、天平19年(747年)、国分尼寺を意味する法華寺としたという。法華寺造営のための役所であった造法華寺司により伽藍整備が完成したとされるが平安京遷都以後は次第に衰微した。鎌倉時代に叡尊が寺院を一時再興し、慶長6(1601)年には、豊臣秀頼と母の淀君によって再建された。この時再興された本堂・南門・鐘楼が現在、国の重要文化財の指定を受け、保護されている。時勢と共に衰え、かつての壮大な伽藍だった総国分尼寺の面影は今はなく静かな佇まいを見せていた。いた
 法華寺の史跡建造物   法華寺の伽藍・史跡建造物
  境内には、国の重要文化財指定の本堂および鐘楼、南門を始め、光月亭、浴室(からふろ)、横笛堂の史跡建築物等があり、法華寺の古い歴史を物語っていた境内の史跡建造物は近年の修復工事で白壁建造物が目立つ中、光月亭の茅葺き屋根が古刹な風情を醸し出していた。
  本堂   法華寺本堂 (重要文化財)
本堂建物正面   本尊十一面観音を安置する本堂は、寄棟造、本瓦葺きの和様の仏殿で、慶長6年(1601年)、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建され、十一面観音立像〔国宝〕、乾漆維摩居士坐像〔重文〕などが安置されていた。堂内にはテープによる案内が流され、法華寺のことをよく知る手がかりになった。
 
法華寺南門    法華寺南門(重要文化財)
法華寺南門と奥に本堂   南門は、切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。  
 
鐘楼     法華寺鐘楼(重要文化財)
 入母屋造の法華寺
鐘楼
入母屋造の法華寺鐘楼。鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。二層建てとし、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」である。
 
光月亭    光月亭(奈良県指定文化財)
茅ふきの風情のある光月亭   奈良県月ヶ瀬村の東谷家民家を昭和46年当地に移築したもので構造・手法から18世紀の築とi推定される。居室の天井は根太天井であるが、土間部では丸竹天井となる等東山地方の民家の発展形態を示す貴重な遺構である。(拝観しおりより)。現在も法事や総代会、茶室の控えなどとして使われ、土間のカマドも使われる時があるという。
 
光月亭入口と土間風景     
薬師堂   薬師如来を安置する薬師堂
 薬師堂  
横笛堂    法華寺の横笛堂 
横笛堂   滝口入道との悲恋の物語で有名な横笛が出家後に住んだといわれる横笛堂
 
  浴室(からふろ)   法華寺の浴室(からふろ)  国指定重要有形民俗文化財
蒸し風呂のルーツ
法華寺の浴室
 
 浴室(からふろ)は、光明皇后が薬草を煎じその蒸気で多くの難病者を救済した場所とされ、建物は室町時代後期に改築されたが、敷石の一部は天平時代のものが残されている(拝観しおり)。現在の建物は、2003年9月、釜の半解体復元作業が完了したという。風呂の歴史、特に蒸し風呂のルーツや歴史を知る上でも貴重な場所になりそうだ。(国指定重要有形民俗文化財)。
 
浴室(からふろ)

 浴室隣の井戸
  護摩堂  法華寺の護摩堂 
 池の中の護摩堂   池の中に建てられた「護摩堂」は、不動明王坐像が祀られており、室町時代に倒壊していたものが、2004年に600年ぶりに再建されたという。
 
 
 庭園散策 庭園、華楽園と境内樹木散策
庭園、境内、華楽園
樹木・草花 
 法華寺には、江戸時代前期に作庭された国指定の名勝庭園があるという。今回の法華寺探訪の楽しみの一つは、名勝庭園の散策だったが普段は公開されておらず庭園公開は春期と秋期の期間限定だという。次回のチャンスを待とう。名勝庭園近くの西側境内を歩くと慈光殿前の一角に立つ菩提樹が目に入った。見上げると、黄葉しかけた枝にはたくさんのかわいい実をつけていた。法華寺東側境内には、華楽園があり、園内散策を楽しんだ。
 境内の菩提樹  法華寺境内の「菩提樹」
 枝を大きく横に広げ堂々とそびえ立つ法華寺境内の菩提樹  法華寺慈光殿前の菩提樹はいつ植栽されたかは不明だが日本へは臨済宗開祖の栄西が中国から持ち帰ったとされる。御釈迦さまが悟りをひらいた時に木陰となっていた菩提樹はインド菩提樹。シューベルト歌曲の菩提樹は西洋菩提樹。スイスで見かけた西洋菩提樹    
 
 境内の菩提樹    
菩提樹の実 
(ルドラクシャ)
 
菩提樹の実はヒンディー語で「ルドラクシャ」、ルドラは「シヴァ神」の意。ルドラクシャにシヴァ神の力が宿り、神聖なものとして大切にされ、ルドラクシャの実を数珠にして祈りの際に使用したり、祭壇に安置したりと人々の生活に密着した聖樹の実だ。加工細工してブレスレットとかの身の回りの装飾品にも使われる。
 華楽園 華楽園 
境内の東に位置する華楽園風景   境内の東に位置する華楽園。広い園内には約100本の椿をはじめ750種の樹木や草花が植栽されているという。
   
探訪時、花のシーズンは終り、ちょっと寂しい園内だったが通路の植物名プレートを見ながらゆっくり園内散策を楽しんだ。
華楽園の蓮池と華楽園散策路     
華楽園の蓮池と華楽園散策路。花木や草花の花がいっせいに咲きそろう春や蓮の花が開花する6月ごろ再訪したいものだ。
万葉歌碑 法華寺境内の万葉歌碑
   法華寺本堂前に山部赤人(やまべ の あかひと)が詠んだ「いにしへの古き堤(つつみ)は年深み池の渚に水草(みくさ)生(お)ひにけり」の歌碑が建っていた。山部赤人は三十六歌仙の一人とされる奈良時代の歌人だ。この歌は、山部赤人が720年に没した太政大臣藤原不比等邸の庭園(築山やそれをめぐる池)を詠み、故人を偲んだ歌だとされる。
<不比等の娘、光明皇后が不比等の邸宅跡に法華寺を建立>
境内の万葉歌碑  
「いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり」 (万葉集巻三 378 山部赤人

   新聞掲載記事
   
2013年12月25日 南九州新聞記事より
 
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