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南種子町探訪編南種子町


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南種子町は北に中種子町、東西南を海に囲まれ、自然景観に恵まれた風光明媚な町である。面積110.4平方キロメートル、総人口6317人(2009年11月1日現在)。平均気温19度、温暖な気候に恵まれ、サトウキビを始め、稲作が盛んで、国内では最も新米「コシヒカリ」の出荷が早い。島の東側海岸線は海食崖のため、変化に富み、美しい景観を、西海岸線からは沈み行く夕日と屋久島の雄大な景観を眺望できる。島の最南端に目を向けると、1543年(天文12年)南蛮船が漂着し、鉄砲伝来の地として歴史的な由来をもつ門倉岬がある。南東端の竹崎海岸には、ロケット打ち上げ施設「JAXA種子島宇宙センター」があり、日本の先端技術の一端を担っている。また、国指定重文の宝満神社の御田植祭、広田遺跡を始め県指定遺跡の横峯遺跡など有形無形の歴史的文化財が数多く残る。(最終探訪日2016年9月25日)

「宇宙への玄関」南種子町
南種子町の風景(自然風景や名所、史跡など)
門倉岬   七色坂展望所 前之浜海岸・海浜公園 ドラム・エルタン号とインギー鶏
宝満の池と赤米館 赤米シンポジウム 竹崎海岸・種子島宇宙センター 広田遺跡ミュージアム・広田海岸
浜田海岸・千座の岩屋 宇宙ヶ丘公園 横峯遺跡
島間港 下中八幡神社とお田植祭 ワンポイント風景
マングローブ原生林
マングローブ原生林 
種子島に自生するメヒルギ自生地は、貴重な動植物の宝庫でマングローブの中をカヤックに乗って探訪することもでき、2017年夏、カヤックを楽しみながらマングローブ、生き物観察にチャレンジした。
 
広大なマングローブ原生林 
   
マングローブの原生林の中をカヤックでジャングル体験ツアー(半日コース)  
ブルーピース http://bluepeace.tanegashima-info.com/
 
カヤックでジャングル体験

 門倉岬と七色坂観望所
種子島の最南端に位置する門倉岬は、海面から数十メートルの高い断崖をなし、断崖の下の磯には、黒潮の白波が打ち寄せて、白い牙をむいている。広い海原に突き出た岬に立てば、東には大きく湾曲した前之浜が宇宙センターのある竹崎まで続き、西には屋久島がくっきりと浮かぶ。先端の平地は公園として整備され、「御崎神社」と「鉄砲伝来紀功碑」があり、鉄砲伝来に関連する記念碑が建つ。

鉄砲伝来紀功碑や各記念碑が建ち並ぶ門倉岬公園内と竹崎に続く前之浜海岸

門倉岬眼下、白波が打ち寄せる断崖絶壁の海岸風景

門倉岬の入口付近の風景

鉄砲伝来紀功碑と鉄砲伝来記の案内看板

南蛮船を模した展望台

御崎神社
ps:「鉄砲伝来記」の案内板には、次の内容が記してある。「1543年(天文12年)8月25日、ここより見下ろす小浦の辺りに、見なれぬ大きな異国船1隻が漂着した。何処の国から何の目的できたのか、船の形も乗組員の顔も姿も異様で、言葉も通じない人々であった。その船に赴かんとするに、先方より鉄砲を撃ち放ち、その轟音に村人は驚き騒然となった。大船より小船にて数人が浜に下り、西之村の地頭西村織部丞が明国の五峰と名乗る者と砂上にて筆談し、ようやく意を通じた。我々は貿易商人で怪しいものではない、台風にまきこまれてここに着いた、と。織部丞は赤尾木(西之表)の島主に早馬で知らせ、異国船は赤尾木へ曳かれた。異国船の乗組員一行は、およそ半年間種子島に滞在し、その中のポルトガル人によって鉄砲が伝えられた。鉄砲なる新鋭の武器は、わが国における戦法を一変し、歴史を変えた。この地が、日本国において初めて鉄砲を撃った所であり、鉄砲伝来の地である。」

七色坂展望台からの眺め
白く延々と続く前之浜、緑の保安林帯、黄金色に染まる広大な水田、これらの景色が虹のように七帯の色をもち、一日に七度変わり、季節毎に七度変わる。人呼んで「七色坂」という。町の名勝八景(平成4年)

七色坂観望所

七色坂一帯から眺める風景は絶景で、四季折々の特色ある景色が眺めれれる。2009/7/23

門倉岬から→前之浜海岸へ

前の浜海岸・前之浜海浜公園
種子島の南端、門倉岬から太平洋に面する東海岸の竹崎まで約8kmにわたってなだらかな白砂の砂丘が続く。ここ、前之浜海岸は、イギリスの帆船、ドラメルタン号漂着とともにインギー鶏が伝来した異国交流の地である。前之浜海浜公園は、2009年7月22日の皆既日食の観察ポイントにもなり、たくさんの人が訪れた。サーフィンポイントとしても人気が高い。

門倉岬から眺望した前之浜海岸

前之浜海浜公園や門倉岬一帯には、たくさんの皆既日食見学者が訪れた。
前之浜海浜公園での皆既日食見学風景
皆既日食後の前之浜海岸と前之浜海浜公園 
皆既日食で熱く燃えた前之浜海岸。あの日から一年近く、再び前之浜海岸を探訪する機会が訪れた。車と人で埋め尽くされたあの日の公園の広場と高台、海岸一帯は、静寂さを取り戻し、静まりかえっていた。2010/04/13

皆既日食当日はこの高台を中心にたくさんの人出でにぎわった。

あれから一年公園高台から竹崎海岸方向を望む前之浜海岸風景

あれから一年公園高台から種子島南端門倉岬方向を望む前之浜海岸風景
ドラム・エルタン号とインギー鶏
前之浜海浜公園の一角にドラム・エルタン号漂着の記念碑が建つ。明治27年(1894年)4月25日夜半、南種子下中の前之浜に暴風雨にあったイギリスの帆船「ドラム・エルタン号」が漂着した。村人は29人の乗組員を各民家に収容し、航行不能になった舟の積荷を下ろし、舟の引き出し作業に協力した。救助された英国人乗組員の人達は厚くもてなしてくれたお礼に、船中で飼っていた11羽の鶏を贈った。村の人達はこの鶏をイギリス人からもらった鶏だということで「インギー鶏(どり)」と名付けて、大切に保存してきている。
前之浜公園の一角に建つ「ドラム・エルスタン号」漂着の記念碑 2009/07/22

前之浜公園の一角に建つ「ドラム・エルスタン号」漂着の記念碑 2010/04/13
インギー鶏の血を引くにわとりが、花峯小学校の子ども達の手によって世話が続けられ、すくすくと育っている。
前之浜から→茎永へ
宝満の池・宝満神社・赤米館
 宝満の池
茎永平野の南西、松原集落の近くに神秘的なたたずまいを見せる宝満の池がある。波ひとつ立たぬ静かな池の水面には、周囲の山景が鮮やかに映り、神秘的な風景をかもしだしている。池の南は砂丘がせまっており、砂丘を越えると海である。宝満の池は、茎永層の一部が沈降し、入り江になったのち、海との間を砂丘がせきとめてできた海跡湖だといわれる。冬になると鴨などの水鳥が飛来し、湖面はにぎわう。
 
 宝満の池と後方竹崎

いろいろな伝説を秘め、神秘的なたたずまいを見せる宝満の池

周囲の山景を鮮やかに湖面に映す宝満の池
 
宝満の池近景 2016/9/25

 宝満神社
 参道を5分ほど歩き、緑に囲まれ、奥まった宝満池のすぐ近くに、赤米のお田植え祭りで知られ多くの伝説が残る宝満神社の社殿が建っていた。御祭神は玉依姫命。
 
 宝満神社拝殿
 赤米館
たねがしま赤米館には赤米や稲作に関する資料が展示され、宝満神社に伝承する赤米と、これに関わる民族行事、地域の稲作などについてわかりやすく紹介している。。「赤米展示室」には、稲の道と赤米のルーツ、宝満神社と赤米のまつり、南種子の米つくりの3つのテーマで実物標本や模型、映像、解説パネルなどを展示している。この地方の赤米は、茎が長く、背丈が約150cm程、岡山や長崎のものに比べ、モミに付いたノギが赤く染まらないのが特徴だとされる。平成10年10月オープン

たねがしま赤米館には赤米や稲作に関するたくさんの資料が展示してあった。

 種子島の南の端、茎永土地の名が示す長い茎
御田の森から授けられる苗籾から伸びる鋭いの芒(のぎ)、そして赤く染まる玄米。いつの時代どこからもたらされたのか稲の魂が宿る赤米、豊穣への祈りは赤米を介し時を越えて受け継がれゆく。
   
 
赤米館資料館展示から
 宝満神社のお田植え祭・赤米シンポジウム
お田植え祭とは 
南種子町茎永にある宝満神社の御田植祭(おたうえまつり)は、神田に赤米を植えて豊作を祈願する行事である。御田植祭では、社殿で儀式を行い苗を神田に植える例が多いが、宝満神社では神田に隣接した「御田の森」と呼ばれる自然の小高い山で儀式を行ってから赤米の苗を植えるという我が国特有の農耕行事の古い姿がうかがわれる。また、赤米という独特の米を儀礼的に用いることや田植え後に「船田」で御田植え舞が奉納されることなど地域的特色が豊かである。我が国の稲作に関わる農耕行事の変遷や意義を理解する上で重要であるとして、平成28年3月2日に国の重要文化財に指定された。 
 
 
宝満神楽(お田植祭の主な習わし現地案内板から)

 赤米シンポジューム
 「お田植え祭」 国の重要文化財指定を記念して赤米シンポジウム
 種子島宝満神社の御田植祭が平成28年3月に国指定重要文化財に指定されたのを記念し、赤米シンポジュームが大大的に行われた。H28年9月25日
 
赤米脱穀風景  2016.9.25
 
お田植え舞が奉納される船田。御田の森の前にある三角形の田は船の形に見えることから船田と呼ばれている。お田植え祭の際、社人とよばれる宝満神社の世話役夫婦が正装し、赤米の苗を手に「お田植えの舞」が舞われる。
 
お田植祭の儀式が行われる重要な場所、御田(おた)の森。

 赤米シンポジウム
 
   
国指定重要無形民族文化財指定と赤米シンポジウム案内のぼり
   
 赤米ジンポジウム会場・企画展展示コーナー  2016.9.25
 
 宝満神社の赤米の特徴<
1,茎が長く背丈が150Cm程になる
2,もみの先端にあるノギが長く、総社や対馬の赤米はノギが赤く染まるのに対し、宝満神社の赤米は赤くない。
3,湿田だけでなく、雨水による「天水田」や畑でも栽培可能な水稲・陸稲双方の性質を備えている。
4,ジャパニカ米という品種に近く、稲作が東南アジアから海の道を経て伝播した可能性を示している。
竹崎海岸と種子島宇宙センター
竹崎海岸は種子島の南東端にあり、青い空と白い砂の雄大な海岸一帯は南種子町を代表する景勝地のひとつだ。海岸線は南端の大竹崎から北端の大崎まで、南北に4kmのゆるいカーブが続く。宇宙センターは竹崎海岸線の広い砂丘の一角にあり、宇宙科学技術先端の宇宙センターと自然がマッチした美しい景観をかもし出している。広い宇宙センターの一角に宇宙科学の粋を集めた宇宙科学技術館がある。海岸線の砂丘の一部は海水浴場となっており夏はにぎわう。サーフインのポイントとしても人気が高い。
最新情報: みちびき打ち上げ成功  2017年8月20日
 南種子町の種子島宇宙センターから人口衛星「みちびき3号機」搭載のH2Aロケット35号機が打ち上げられ、成功した。みちびきはナビ機能などの測位精度向上を目的とした衛星である。
 
 竹崎海岸

透明度が高く、白波が打ち寄せる美しい竹崎海岸

干潮時の竹崎海岸

竹崎の海岸を背景にしたN−1ロケットの実物大模型と宇宙科学技術館

宇宙科学技術館建物

館内展示風景

種子島宇宙センター

竹崎漁港

竹崎から→平山へ
広田遺跡ミュージアム・広田海岸
 広田遺跡ミュージアムは、国史跡ガイダンスとして2015年3月1日にオープンした。館内では、国重要文化財「広田遺跡出土品」、集団墓地や埋葬の様子、遺跡の特徴などを実物、模型の展示、映像などによって知ることができる。広田遺跡は、今から1700年前〜1300年前(弥生時代終末から古代)にかけての集団埋墓の遺跡である。昭和32年〜34年にかけて発掘調査が行われ、90基の墓と157体の埋蔵人骨のほか、人骨にともなう副葬品として44、000点以上の貝製品などが発見された。また、平成17〜18年にかけて行った発掘調査では、未調査の墓が多く残存することがわかった。これらの人骨は美しい貝のアクセサリーを身につけて埋葬されていたという。広田遺跡は、平成20年3月28日に「国史跡」に指定。平成21年7月10日国の重要文化財に指定(平成17〜18年調査出土品)   <探訪日2016年9月25日>
   
 広田遺跡ミュージアム案内標識と建物外観

 館内展示資料の一部
   
 
 
↑ 展示資料
   
 ↑映像資料

 「山の字」貝符の謎
 昔の社会科の教科書に広田遺跡で発見された「山」の文字が日本最古の文字として記述されていたがその後諸説があり、「山ノ字」貝符の謎として資料が展示してあり興味深かった。
 
館内展示資料から
 
「山」の字貝符の復元品(レプリカ)、現物は黎明館に所蔵されている。

 
「山」の字貝符の復元品(レプリカ)拡大写真
 国史跡 広田遺跡公園散策
ミュージアムに隣接する 発掘跡は公園になっており、整備された遊歩道を楽しみながら史跡跡や風景を散策した。
   
 広田遺跡公園、整備された遊歩道
 
南側墓群史跡
 
現地南側墓群案内標
 
北区域一号墓・北区二号墓史跡跡
 
北側3〜9号墓案内板
 
北側墓群案内標
 広田遺跡周辺の自然環境
 海岸と川沿いの湿地に囲まれた広田遺跡の周辺では様々な種類の植物や生物を見ることができた。
 
現地案内板
   
   
整備された遊歩道脇には植物名のプレートが付けられ楽しみながら散策できた。 

 広田海岸
 平山の南東の海岸を広田海岸という。広田遺跡の建つ場所から望む広田浜の風景は絶景だった。<探訪日2009年7月23日>
 
広田海岸岩屋の間から種子島宇宙センターを望む。
 
砂丘から北方向風景
 
遺跡は砂丘の左方向にある
 

広田遺跡ミュージアムができていいない頃の広田遺跡跡<2009年7月23日>


浜田海岸と千座(ちくら)の岩屋
南種子町平山の浜田海岸に千座の岩屋がある。岩屋の中に入るとひんやりと冷たい。出入り口がいくつもあって中はずいぶん広い。潮の満ち加減によって洞窟内の様子が一変する。岩屋の構造は茎永層の波触岩の大洞窟で、千人もの人を一度に収容できるほどの広さから千座の岩屋といわれる。波で浸食された奇岩は見る人に感動を与え、自然の作り出すスケールの大きい芸術作品に魅了される。

岩屋の洞穴から中種子町熊野の権現山を望む

岩屋の洞穴内から海を望む風景

岩屋の洞穴内から海を望む風景

千座の岩屋全景
宇宙ヶ丘公園
上中の町から2kmほど南に宇宙ヶ丘公園がある。宇宙ヶ丘に立つと、東のかなたに種子島宇宙センターのある竹崎が眺望できる。ロケット打ち上げの見学にはもってこいの場所で、打ち上げ時にはロケット発射の瞬間を見ようと大勢の見学者でにぎわう。静かなたたずまいを見せる広い公園内には池や公園広場があり、ゆっくりくつろげる場所となっていた。

宇宙ヶ丘公園展望所から竹崎方向を望む。

宇宙ヶ丘公園展望所付近の光景

静かなたたずまいを見せる宇宙ヶ丘公園内の風景

公園内のガジュマルの大木
横峯遺跡 南種子町
横峰遺跡は、国道58号線沿いの屋久島を望む高台の大地に位置し、縄文時代草創期と早期・旧石器時代の遺構・遺物が発見されている。なかでも、旧石器時代今から約3万1000年以上前の日本最古の貴重な礫群(昔の調理場)が発見されている。

屋久島を望む横峰遺跡跡地風景
島間・上中間、国道58号線沿いの横峯遺跡案内標識と現地案内板
ワンポイント風景

 島間川に架かるアーチ状の島間大橋   2010/4/14

種子島からの屋久島展望   2010/4/14

大川港からの屋久島展望

島間の高台からの屋久島展望

早期刈り取り・収穫風景(茎永)

(ここにマウスポインタを置くと最上段に戻ります)