鹿児島の方言の由来   

鹿児島方言の意味と由来

方言 意味 方言の使い方と由来
あいた いて 痛い たとえば風呂の湯などの熱いことをイテ(イタカ)といい、そんなとき思わず漏らす嘆声が「アイタ」で「あ(感動詞)」に「痛い」の語幹のついたものである。
あったらし 惜しい 惜しいーという意味の形容詞。アタラヲシがつまってアッタラシとなったという説がある。「源氏物語」桐壺の巻に「ただ人にはいとあたらしけれど・・・」とある。
あとぜっ 動悸がする 過去にあった危急の事態などを思い出して胸がどきどきすること。アトゼキのアトは「後」セキは「赤面する」意の名詞形。つまり胸のふさがる思い。
あばてんね たくさん 九州各地で使われる「あばかん」「あばきがとれん」と同意である。「あば」は「漁網を浮かすための樽」。「けんね」は「はけない如くの意」でそれほどたくさんという意味(九州方言辞典)。「あばきがとれん」の「あばく」は発(あば)くに一語で収まる。余る。などの意がある。「あばてんね」の「あばてん」は「あばかん」と同じくこの動詞の否定形とみる。
あまる 子供があばれる いたずらをする 同意語としてアマイバッ、アマイバッチョ、ケスイバッ、などがある。「アマルの意は、子供が人に対して悪戯をすること・・・大隅肝属郡方言集」。また日本国語大辞典の「余る」の項に「子供などがさわぐ。ふざけすぎる。」の意を挙げている。
あまん 酢(す) 酢(す)を「アマリ」といいそのなまったことばが「あまん」。どうしてアマリというか。それは米の飯などのあまりをつぼの中に貯えて作るという説や酢っぱくなる前に一度あまくなるという説などがある。 
いっき すぐに    直ちに 「言われたら、イッキせんか。」(言われたらすぐにしなさい。)「一騎」からとした説や「一気」の説がある。
いっぺこっぺ あちらこちら
ところかまわず
イッペコッペ、サル(歩)ッモシタヤ、スッタイだれもした。(あちらこちら歩いたらとってもつかれた。)イッペコッペは「何辺彼辺」の説やイッペー(たくさんの意)に語呂を合わせた強意コッペをつけたという説がある。
いみい 物の量の増えること 大雨で水かさが増したら「水がいみった」となる。古語「いみじ」は善悪ともに程度のはなはだしいことをあらわす形容詞。その動詞に相当するのが「いみる」である。
うっかた 妻(つま) 古典語の「内方」(うちかた)がそのまま伝わったもの。
うっすい 紛失する 「ちょっ、しもた。銭ぬウッセた」(しまった。お金をなくしてしまった。)「うち捨てる」からきたもの。 
えじ ずるい 
わるがしこい
「エズイ」は全国いろいろの意味に使われており、薩摩では人に越えて智のあるのを「えずい」といったそうだが、今ではそういう、よい意味はなくなってもっぱらわるがしこい意味になってしまっている。しかし種子島で勤務したことがあるが種子島ではよい意味での「賢い」に使われていた。県内でもこんなにも場所によって大きなちがいがあるものだ。
おかべ とうふ 「御壁」、豆腐が土蔵の白壁の如く白いところから「かべ」、それにていねい語の「お」をつけたもの。京都の宮中で使われていた言葉が伝わってきたといわれる。女房詞(にょうぼうことば)下記注1
おぎら 自慢話 自慢話でも、それも多くは、事実無根のいわゆる「ほら」の類をいう。「また、あん、例のオギラ話か、聞こごっもねえ。」(またあの例の自慢話か。聞きたくもない。)古典語「甚大」(おぎろ)のなまり
津軽地方では金遣いの荒いことを「オギラ」という。(全国方言辞典)これも古語「おぎろ」が程度の甚だしいことを意味するところから転意したものであろう。
おごじょ 娘さん 平家物語などに見える、女性を親しみ呼ぶ第二人称代名詞「我御前」(わごぜ)からきた説。また「御御」(おご)または(おごう)と読み、娘または妻の意。からきた説もある。
おやっとさあ おつかれさま 「おつかれさま」のことです。仕事が終わった後に、また道で会ったときに使うのが「オヤットサー」です。
がっつい ちょうど 日本国語大辞典を見ると、「過不足のないさま。ちょうど」の意の方言に「かっちり」があり全国各地で使われている。共通語の「がっちり」などと兄弟関係の言葉が「がっつい」ということになる。
一方「九州方言辞典」には「がっついは本来擬声語で物と物とがかちんとふれ合う擬声語の転化」とある
きぞわり 気味が悪い 「気味が悪い」という意の形容詞。「全国方言辞典」にも採録され「きそが悪いー薄気味悪い。大隅肝属郡」とある。「日本国語大辞典」が「キッソウー吉相」の項に「縁起」を意味するキッソなどの方言を出している。縁起の悪いことは結局気味の悪いことになるので、やがて本県方言のような意味に転じてきたものと思われる。 
きっがわり 気味が悪い 「気味が悪い」「何だか哀(かな)しい」の意。縁起でもないことを言われて、くやしいやら、悲しいやら、そんな時「キッガワリ」という。
ぎった ごむ ごむまりのことを「ギッタマイ」という。この方言、オランダ語の「ギュッタ」から来たといわれている。また、馬来群島に産するゴムを英語で「グッタベルチャ」といい、それを略して「グッタ」といい、さらになまって「ギッタ」と伝わったという説もある。
きらす 豆腐のしぼりかす 「おから」のことをなぜ「きらず」というのか。一番有力でしかもわかりやすいのは「切らず」で切る必要がないからだ。
くせらし なまいきなこしゃくな 「コドンのくせ、クセラシこつゆな」(子供のくせに、生意気なことをいうな)。くせらしの語源は「曲(くせ)らし」。「曲」(くせ)は、一曲(ひとくせ)あるとか、「曲者」(くせもの)の「曲」。
ぐらし かわいそうな 「うぐらし」「ぐらしか」ともいう。種子島では同意の言葉で「ごーらしか」がある。この方言の由来は「業らしい」。「業」は仏語で「前世のおこないによってうける現世のむくい」の意。悔やみの挨拶に、「とうとうお亡くなりになりましたそうで・・・。ほんとうにかわいそうなことでしたねえ。」というのを鹿児島弁でいえば「ごろいと、やっせやらんじゃったち。まこてグラシこっ、ごあしたなあ。」となる。
けすいばっ ひょうきん者 いたずら者 「ケスイバッチョ」「ケスイボ」ともいう。古典に「気する」とほぼ同意の「けすらふ」がある。「けすらふ」は「気色(けしき)らふ」から来たともいわれ、「つくろった様子や態度をする。きどる」ことで方言の「けする」とほとんど同意である。
げんね はずかしい 茶わんむしの歌に「まこてげんねこっじゃ、わっはっは」(とってもはずかしい)とある。「験ない」の転訛説があるが「芸もない」という説もおもしろい。
こっ くも  くもを「コブ」というのは広く九州に行われ本県では更に促音化して「コッ」とよぶ。その由来は、やはり「くも」そのもものなまりである。 
すったい たいそう
非常に
「いっぺこっぺ、さるっもしたや、スッタイだれもした。」(あちこち歩きまわったら、とってもつかれた。)
いろいろな語源説があるが「日本国語大辞典」では「すっかり」のなまりとして「シッタリ、シッテリ、スッタレ」を挙げている。
すんくじら すみっこ 漢字を当ててかくと「住抉」。すみ(隅、住み)+抉る(くじる)。抉るは「穴にものをさしこんで、中の物をえぐりとる『日本語大辞典』とある。長崎方言では「スミクラ」、大阪では「スマクダといい語源も諸説ある。
たまがい びっくりする もっとびっくりしたら「ヒッタマガッタ」。寝ていた子供が急におびえて泣き出すことを「ネタマガイ」という複合語もある。語源は古典語の「魂消(たまぎ)る」 
ちんがらっ めちゃくちゃに  こっぱみじん 「試合でちんがらっ負けた」(試合で大きく負けた大差で負けた) 語源は「散り瓦落」(瓦が屋根から落ちてきて散り散りにこわれた) また「がらり」に強意の接頭語がついたという説 「ちん」も「がらり」も擬声語という説もある。  
ちょか きゅうす カナジョカ(鉄製の湯わかし)、クロジョカ(しょうちゅうをあたためる)、チャジョカ(茶をわかす土びん)
つがんね つがらんね とっぴょうしもない 「ツガランネこつゆな。」(とっぴょうしもないことを言うな。) 「都合あわない」が転じて「ツガンネ」になった説。古典語の「つがもなし」(むちゃな、ばかばかしい、とんでもない、途方もないの意)からきた説。  
てげ ほどほどに いいかげんに 「てげてげ、せんか。」(ほどほどにしなさい。)「たいがい」が変化してできたことば。
てんがね おりこうな 「テンガな子ぢゃ。」(おりこうな子だ。) 「手ん柄者」という説。 「天下」「無し」の説  
とぜんね さびしい 「徒然ね」が定説。徒然草(つれづれぐさ)のつれづれなるままに・・・が連想される。「つれづれ」とは何かしたいという気持ちの張りはありながらも、さしあたってなにもすることがない状態。  
にせ 青年 「にせ」は「二歳」からきています。共通語でもおとなになったばかりの男の人を「青二歳」(あおにさい)といいます。「よかにせ」(りっぱな青年。美男子)の反対ことば「ぶにせ」 
はっちく 逃げる
死ぬ
「行ってしまう」「はって行く」説がある。その他に「ハッ」という強意の接頭語に「行く」という動詞が結合し促音化して「ハッチク」となった説。小鳥がはっちた(にげた)。あの世にはっちた(死んでしまった)。
ぶえん 無塩 「ブエンのいおは、いいもはんどかい」。無塩の魚(塩漬けしていない新鮮な魚の意)はいりませんか。
べぶ 牛の子はベブン子 「はら、まこて、みごち(見事な)ベブんこがうまれもしたな。」 ベブは全国に散在している牛の方言「ベコ」と同系の語である。「ベコ」はアイヌ語の「PECO」がなまって日本語に入ったのだという説がある。また人が牛を呼ぶ声とする説や鳴声とする説がある。  
ぼっけな らんぼうな 勇気のある 語源説として「冒険者」「武家者」武っ気者」「没計者」「呆気者」(ほうけもの)など多いが古語「ほほけ」(ぼんやりしたの意)が定説。 「勇気のある人」のことですが、しかし時には「むちゃなことをする人」という悪い意味で使われることがある。
注1 女房詞とは「室町時代初期ごろから、宮中奉仕の女官が主に衣食住に関する事柄について用いた一種の隠語的なことば」(広辞苑から)。女房詞説のほかに次のような薩摩独特のいい伝えがある。豊臣秀吉朝鮮出兵の際、従軍した島津義弘公が、かの地で豆腐を食し、その製法を心得ている者を連れ帰り、以来薩摩の岡部家がその製法を伝承することとなったという説。

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