南紀・熊野古道
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 熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は全国の熊野神社の総本宮にあたる神社で熊野三山のひとつである。かつて熊野川の中州に鎮座しており、明治22年(1889年)8月の洪水で流され、流失を逃れた社殿が現在の場所日に移されたという。神社入り口の鳥居をくぐり158段の階段を上りきると広い境内には拝殿と神門があり、古色ゆかしい雰囲気を漂わせていた。境内一角に立てられた熊野のシンボルマークにもなっている八咫烏(ヤタガラス)の旗が目をひいた。神門をくぐると奥に檜皮葺きの古色蒼然とした御本殿(上四社)が建っていた探訪の楽しみ一つ、巨樹探索では特記するほどの巨樹はなかったが「葉書」の語源となった「たらようの木」と出会えて幸運だった。境内一角の和泉式部の祈願搭や宝物殿の重要文化財等が熊野本宮大社の古い歴史と伝統を感じさせた。
2004年(平成16年)に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録   探訪日2012/05/22  HP作成日2012/06/16
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を巡る~熊野本宮大社~
 参道・境内散策 本宮大社と八咫烏    本宮大社と歌碑
 境内樹木散策  追 記  MAP
  熊野本宮大社参道・境内散策
   
 入り口参道鳥居と立ち並ぶ表参道の白旗と階段立ち並ぶ「熊野大権現」の白旗が印象的。
 
本宮大社拝殿
 
本殿に続く神門
杉木立に囲まれた158段の階段を上る広い境内には堂々とした本宮大社拝殿と神殿が建っていた
 
熊野本宮大社の本殿(上四社)
神門をくぐるといよいよ本殿でそこには主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)、熊野十二所権現を祀っている檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が建っていた。檜皮葺きの社殿は国の重要文化財に指定(2006.4.20) 
   
帰りは本宮大社参道脇の「祈りの道」を下る。(昔からある参道でこれも熊野古道の一部)
熊野本宮大社と 八咫烏
 
熊野本宮大社のシンボル「八咫烏」(やたがらす)をモチーフにした「八咫ポスト」
   
 八咫烏のモニュメント像 八咫烏デザインの旗 
日本サッカー協会のシンボルマークですっかり馴染みとなった八咫烏(やたがらす)は熊野本宮大社のシンボルで八咫烏は三本足の烏熊野権現の使いとされる伝説に満ちた烏だ。・・・下記追記
 熊野本宮大社と境内歌碑
 和泉式部の記念塔と歌碑
   
苔むした 和泉式部の五輪の記念塔  和泉式部記念塔説明板

和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、急に月の障りとなり参拝ができないと悲観してこれでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。
「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」

すると、その夜熊野権現が、夢に現われて
「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」
とお告げがあり、参拝することができたという。

後白河上皇の歌碑
   
「源平盛衰記」によると後白河上皇<1053~1129>は本宮を34回本宮を訪れている。
咲きにほふ 花の景色を見るからに
 
神のこころそ そらにしらるる
境内樹木散策
 
境内一角にある八咫ポストとたらようの木
   
 たらようの木:インド原産の常緑樹で漢字で「多羅葉」と表す。古くは葉の裏に針などでお経や手紙を書いたといわれ、「葉書」の語源となった。葉は煎じて飲用として利用できる。 
   
 おがたまの木:漢字で「黄心樹」・「招霊木」と記す。 モクレン科オガタマノキ属の常緑高木。
追記
追記: 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とし、熊野十二所権現を祀る神社とされる。
 追記:「八咫烏(やたがらす)」は神武天皇の東征伝承に出てくるカラスで天皇の軍が高野山中で迷ったとき天照大神(日本書紀)または 高木神(古事記)の使いとして現れ、天皇の軍を先導したという。由来:大ガラスが最高神から人間界に遺された霊鳥とする神話は、北太平洋岸の諸民族に分布、また古代中国の伝承にもカラスを日輪の精とすることなどからこの神話も発生したとする説あり。
追記: 熊野本宮大社はかつて熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点の「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあったが明治22年(1889年)8月の洪水で流され、流失を免れた社殿が現在の場所に移された。大斎原には12の社殿やいくつかの境内摂末社、神楽殿や能舞台などがあり、現在の本宮大社の8倍の規模を誇っていたという。

旧御本宮御社殿絵図(境内案内板より)
追記32004年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産としてとし 、ユネスコの世界遺産へ登録。熊野参拝道には田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)がある。 
世界遺産高野山・奥の院参道へ→ 
公開にあたって旅の記録の思い出と写真の整理を兼ねて作成。説明記述内容については正確さを保証するものではありません。終わりまでご覧いただきありがとうございました。 
 MAP


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