探訪紀行 奄美大島探訪 
   
  今回の奄美探訪は、一、世界自然遺産の登録を目指す奄美の自然に触れる。二、西郷隆盛の奄美大島での生活の足跡を辿る。三、田中一村記念美術館を訪ね作品を鑑賞する。四、奄美の島の歴史や文化に触れる等を目的とした4泊5日の旅だった。特に金作原原生林の自然探検ツアーは印象に残る体験だった。最後の一日は本島から加計呂麻島へ移動しての予定だったが台風の余波でフェリーが欠航し、予定を変更し,本島の西海岸の絶景を楽しんだ。旅の思い出の記録として写真の整理を兼ねて探訪記として下記サイトへまとめた。見学箇所は下記以外にまだたくさんあったが一写真の撮り忘れ等があり、省略。拙サイトを御覧いただき、今後の奄美探訪のきっかけの一助になれば幸いだ。サイトUP日 2018/10/18 最終更新日2022/8/12
  奄美探訪記内容   奄美探訪記内容<文字をクリック>
 奄美での西郷隆盛ゆかりの地足跡    
 西郷松 西郷南洲謫居跡  本竜郷の屋敷跡   南洲神社 りゅうがく館 
    奄美パーク<奄美の郷  田中一村記念美術館>  「島のブルース」歌碑 
 奄美の郷  田中一村記念美術館
「島のブルース」歌詞 
奄美の自然探検ツアー<金作原原生林> 
 散策風景
 奄美の自然<海辺の風景・滝・マングローブ>
 あやまる岬  土盛海岸  大浜海岸  ヒエン海岸  アランガチの滝  マングローブ
  奄美大島「西郷隆盛ゆかりの地」探訪      <龍郷町> 
  西郷隆盛
ゆかりの地探訪
 奄美大島の北部の町、龍郷町、ここに、西郷隆盛が幕末の安政6年(1859)に藩の命令で蟄居を命ぜられ、「菊池源吾」と名を変えて潜居。藩から扶持米(ふちまい・給料)を貰いながら3年ほどを過ごす。その間、西郷は島の暮らしに徐々に溶け込み、奄美大島の龍郷村の龍一族の娘の愛加那と結婚し、菊次郎と菊草という2人の子供が生まれている。子供も生まれ,家族の為に家を新築し、その祝いをしているところに帰藩命令が届き、文久2年(1862)11月に島を出ることになった。 しかし、愛加那は島の掟により島から出ることが許されず、2人の子は鹿児島の西郷家に引き取られることになった。愛加那は、その後、奄美でその一生を送った。 西郷は鹿児島に戻った後、イトという女性と結婚し、そこで2人の子はイトとの間で生まれた2人の子とともに育てられた。
   西郷隆盛の足跡めぐりでは、1859年奄美大島で潜居を命じられた西郷隆盛が薩摩藩の黒糖運搬船に乗り龍郷村の 阿丹崎(あざんざき)湾に到着したことを記念する西郷松跡、小浜の龍家の家に2年8ヶ月ほど滞在した西郷南洲謫居跡、本竜郷の屋敷跡、芦花部の南洲神社を訪ねた。りゅうがく館の西郷隆盛コーナーでは多くの資料が展示してあり、奄美での西郷隆盛の足跡を知るのに役立った。
  西郷隆盛足跡 西郷隆盛足跡~ 阿丹崎と西郷松、小浜の潜居地、本竜郷の屋敷跡、芦花部の南洲神社~  
   西郷松と西郷翁上陸之地  
    西郷松と西郷翁上陸之地
  「西郷松」は、1859年奄美大島で潜居を命じられた西郷隆盛が薩摩藩の黒糖運搬船に乗り龍郷村の 阿丹崎(あざんざき)湾に到着したとき、この松の木に、ロープを結んで接岸し、運搬船の「とも綱」を結び付けた松を、人々は親しみを込めて「西郷松」と呼んだ。西郷隆盛33歳のときだった。しかし、この老松も、平成23年(2011年)6月に「立ち枯れ」と診断され伐採されてしまった。現在はこの枯れてしまった松材を利用して西郷と愛加奈の像を制作し、「2015年国民文化祭inたつごう」にて初展示された。現在、西郷松を利用して作られた「西郷と愛加奈」の木像はりゅうがく館「生涯学習センター」に展示してあった。 
 西郷松
西郷上陸の地
 
   西郷南洲謫居跡(小浜の潜居地)
   西郷隆盛は最初、美玉新行さんが所有する空家を2ヶ月ほど借りて、二度目はここ小浜の龍家の家に移転、ここで2年8ヶ月ほど滞在した。1859年11月、龍家一族の娘・愛加奈と結婚。西郷33歳、愛加奈23歳.1861年」1月、西郷長子・菊次郎と西郷菊草の2児を設けている
 西郷隆盛
第二潜居地
 
 
 龍家・本屋敷跡
西郷菊次郎生誕の地案内表示板
 
  本竜郷の屋敷跡  
    竜郷集落の中央部にある屋敷跡。西郷隆盛は鹿児島に戻る際に、愛加那や子供たちのその後の生活のために建物を新築し、その完成の日に帰藩の召喚状が届いた。この建物が本竜郷の屋敷跡である。屋内は西郷隆盛の自筆の書、枕などの遺品が展示されている資料館となっていた。現在の屋敷跡は、愛加奈の親族が1910年(明治43)に再建したといわれ今もその子孫が管理している。
 本龍郷の屋敷跡  
本竜郷屋敷跡
 屋内風景
 
   芦花部の南洲神社 
   奄美市芦花部(あしけぶ)集落にある南洲神社は、1940年(昭和15)武運長久を記念して創建」された。この杜は、昔から「神の杜」として地元の人たちにより崇められ、保護されてきた神聖な場所である。また、「鯨浜」の話など南州翁の逸話が多く残る地域でもある。
  南洲神社    
    生涯学習センター「りゅうがく館」<西郷隆盛エリア>     龍郷町
   龍郷町の役場のすぐ近くにある白い建物で、2017年4月1日に開館。文化財展示室では奄美大島に居留した西郷隆盛の資料や、龍郷町内の文化歴史資料を展示。図書館、公民館の機能も備えた複合施設である。 西郷隆盛エリアでは、西郷隆盛が龍郷町に潜居していたいきさつから、奄美に住んでいた約3年間、明治維新後までの歴史がよくわかるように展示してあり、奄美での西郷隆盛の足跡がよくわかった。 
   りゅ うがく館
生涯学習センター 

 西郷隆盛エリア
   
西郷と愛加奈の木像
 枯れてしまった西郷松を活用して作成された「西郷と愛加奈」の木像 
西郷どんテーマ館 



   奄美パーク<奄美の郷  田中一村記念美術館>     奄美市笠利町 
  奄美の文化・自然・歴史が映像や展示で学べる「奄美の郷」ほか、奄美を描いた画家・田中一村記念美術館を併設している。 
  奄美の郷 
   奄美の郷総合展示ホールは、奄美の集落をモデル化し、海の道、テーマウォール、シマの道、森の道、4つのゾーンごとに、実物大模型や映像で紹介し,独自の風習や民俗、文化が分かりやすく展示されていた。
 奄美の郷本館  
奄美の郷本館
  奄美の郷
実物大展示物
   
   しまの道:あまみの郷の展示物、集落の暮らしぶりなどが、紹介。実物大の展示がリアルだった。
 映像写真    
   八月踊り映像写真、つい一緒に踊りたくなるような映像だった。

   田中一村記念美術館
   田中一村記念美術館は、奄美で暮らしていた画家の田中一村の作品のうち約450点ほどを所蔵し、約80点ほどずつ年四回入れ替えで展示している。じっくりと時間をかけてゆっくりと一村の作品を堪能した
 田中一村記念美術館    
   

   島のブルース歌碑   龍郷町
   龍郷町で少年時代を過ごした作曲家、渡久地政信顕彰碑と「島のブルース」(同氏作曲,歌・三沢あけみ)の歌碑。歌碑の中央にある赤いボタンを押すと「島のブルース」が流れる仕組みになっていた。
島のブルース歌碑  
 
  「島のブルース」歌詞  
島のブルース歌詞 1  奄美なちかしゃ 蘇鉄のかげで
  泣けばゆれます サネン花ヨ
  ながい黒髪 島むすめ 
  島むすめヨ

2 愛人(かな)はいまごろ 起きてか寝てか
  淋しがらせる 浜千鳥ヨ
  南風(はえ)のふく夜は ねむられぬ 
  ねむられぬヨ 

    奄美の自然探検ツアー<金作原原生林>   奄美市名瀬
金作原原生林散策  奄美の森を代表する金作原(きんさくばる)原生林を散策 
   金作原原生林は、名瀬の山中にあり、シダ植物類の群生など亜熱帯の森を間近に感じ、生物多様性に富んだ重要な生き物の生息・生育する地域だった。期待していたルリカケスとは出会えなかったが間近かにズアカアオバトを目にすることが出来て幸運だった。ガイドさんが散策路脇でヒメハブを発見し、むやみにヤブの中に立ち入る危険さを実感した。メインのヒケゲヘゴは太古の生き物が息づいていてあたかも熱帯のジャングルを散策している錯覚に陥った。そのほか大小様々な亜熱帯性の植物や動物との出会いがあり、収穫の多い奄美の自然体験ツアーであった。案内してくださった認定ツアーガイドさんに感謝!
   金作原原生林散策風景
 金作原林道
金作原原生林標識
   
   金作原林道標識 
  ガイド悦明    
   わかりやすいガイドの案内と説明 
 ズアカアオバト    
ズアカアオバトとは  散策路脇の頭上に巣を作っているズアカアオバトが出迎えてくれた。
ズアカアオバト: 日本本土のアオバトによく似ているが,体が大きいうえに羽色が濃く,鳴き声が異なる。屋久島,種子島以南の南西諸島,タイワン(台湾),フィリピン北部に留鳥として分布する
  ヒカゲヘゴ    
   金作原原生林のメイン、生きた化石といわれる巨大なヒカゲヘゴに圧倒された。
樹林内亜熱帯植物    
   樹林内の亜熱帯植物 
 貴重な草花    
   樹林内のめずらしい草花
マングース捕獲ワナ


ヒメハブ
 
マングース捕獲ワナ
 
林道脇草むらに潜むヒメハブ
オキナワウラジロガシ  
   樹林内で圧倒的な威容を誇る亜熱帯植物「 オキナワウラジロガシ」
オキナワウラジロガシとは 奄美大島以南の琉球列島に自生する常緑」広葉樹で、成長した大木では根が板状に張り出す板根(ばんこん)が見られる。このウラジロガシは樹齢150年以上と推定され高さが約22m,胸高直径が約1.0mもある奄美大島でも最大級の大木である。果実は直径 2.5 - 4cm、重量 15 - 20g と日本最大のドングリとして有名だ。

   奄美の自然<海辺の風景・滝・マングローブ>
   あやまる岬   <奄美市笠利町>
 あやまる岬  あやまる岬は、奄美大島の最北端に位置する奄美市笠利町北東部にある太平洋に突き出した岬で奄美十景の一つである。こんもりと丸い地形が綾(あや)に織りなす「まり」に似ていることから、その名がついたといわれる。東の水平線に喜界島を望み、岬の回りはサンゴ礁、眼下にはソテツジャングルが亜熱帯の風情を醸し出していた。
     
 あやまる岬展望所  
    土盛海岸    <奄美市笠利町>
    奄美空港の近くにある土盛海岸名は、ガイドブックによると「ブルーエンジェル」とも例えられる奄美でも有数の美しい大人気のビーチであるという。しかし、探訪時は、残念ながら台風通過後のために砂が濡れて、波もまだ高く想像していたグリーンの海とはかけ離れていた。
 土盛海岸
   
   
   大浜海浜公園『大浜海岸』   <奄美市>
 大浜海浜公園
  日本の渚百選・日本の水浴場55選にも選ばれている大浜海浜公園は、蒼い海と白い砂浜が広がり、夕日や星空など奄美大島のなかでも人気の高い海水浴場だ。公園内は ビーチだけではなく、ステージ広場やキャンプ場、売店、奄美海洋展示館などさまざまな施設があり海水浴以外も楽しめる。  この日は、広場にある奄美の歴史文化的建造物である「高倉(たかくら)」や、奄美大島の亜熱帯植物「アダン」等の植物を観賞し、南国気分を味わった。
  高倉・アダンの木    
 大浜海岸  
   ヒエン海岸(ふれあいパーク戸田)からの眺望     <大和村>
    国定公園 ヒエン浜は、東シナ海に面する美しい海岸線とアダン群生帯の調和や夕日がすばらしいビーチだった。遠浅の珊瑚礁の織りなす海岸も一見の価値がある。眼下に見える戸田海岸は、奄美でも有数のサーフインスポットである。 
ふれあいパーク戸田  
 ヒエン海岸

 
   手広海岸・ハートロック   <龍郷町>
    赤尾木太平洋に面した東海岸の干潮時に現れる海水をたたえたハート型の岩は有名だ。日本有数のサーフスポットとして知られており、年間を通して多くのサーファーが訪れる。2011年5月にはサーフィンの世界大会が開催された場所だ。
  ハートロック    
 手広海岸  
   奄美大島の滝  -アランガチの滝-  宇検村
   水が豊かな奄美大島には、マテリヤの滝、アランガチの滝、フナンギョの滝等があるがマテリアの滝は台風の影響で通行止めのためアランガチの滝を探訪した。アランガチの滝は湯湾岳を源流とし、落差が約30m程の奄美を代表する滝の一つで交通の便もよく人気のある滝だ。
 アランガチの滝
   
 アランガチの滝全景  
  マングローブ     奄美市住用町 
   日本で2番目に大きいマングローブ原生林。カヌー散策が人気だ。
  住用町のマングローブ  
   
 

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