探訪紀行  日本三名園 兼六園        ふるさと情報室へ 探訪記へ
 
ぐるっと兼六園(霞ヶ池周遊散策コース)
はじめての兼六園、時間をかけてゆっくりと見学したいところだが今回はツアー旅行につき、見学時間が約50分と制限され、短時間でまわる池の周遊ースを選択した。見学コースは池を廻遊しながら園内名所を見学できるように、散策路が巡らされていた。急ぎ足の短い見学時間ながら兼六園のシンボル、徽軫灯篭や虹橋をはじめ、松と池を中心とした兼六園の日本庭園の魅力を十分に堪能することができた。季節柄、兼六園の梅や桜、カキツバタ、サツキ等の四季折々の開花風景、何よりも兼六園の名物である唐崎松の雪吊り風景に出合うことができなかったが時期を見計らって再訪することを誓い園をあとにした。  2012/10/20  サイトUP日2012/11/26 
兼六園とは ことじ灯籠と虹橋 水道の遺構 眺 望 台  雁 行 橋
 明治紀年之標  栄螺(さざえ)山  噴  水  常磐ヶ丘  山査子(さんざし)
霞ヶ池風景  兼六園の松 兼六園の桜
  兼六園とは
兼六園とは   兼六園は、石川県金沢市にある庭園で江戸時代に加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城内に蓮池御亭(れんちおちん)と称する別荘を建て、庭園として整備したのが始まりとされる。その後藩主たちにより造営が続けられ、13代藩主齊泰(なりやす)が現在の兼六園を完成させた。江戸時代を代表する池泉回遊式庭園で兼六の意は広大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼子(そうこ)・水泉・眺望の六勝を兼ねることに由来するとされる。国の特別名勝に指定され、岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで日本三名園の一つに数えられる
霞ヶ池風景 
霞ヶ池
  兼六園のシンボル 「徽軫灯籠(ことじとうろう)」と「虹橋」
  兼六園のシンボル、 「徽軫灯籠(ことじとうろう)」と「虹橋」 :この灯籠は琴の糸を支える琴柱の形をしていることから「徽軫灯籠」と呼ばれている。手前の橋は虹橋で別名を琴橋ともいう。 (8:10)
 徽軫灯籠(ことじとうろう)と虹橋  
   「徽軫灯籠(ことじとうろう)」と「虹橋」。 手前の虹橋は琴の形のように「緩やかな曲線を描いていることから「琴橋」とも呼ばれている。
ことじ灯籠と紅葉  
霞ヶ池の北側に配された 「徽軫灯籠(ことじとうろう)」と後方池に浮かぶ「内橋亭」。傍らのモミジの紅葉が一体となり、ビューポイント・撮影ポイントだった。
   水道の遺構
     「水道の遺構」は園内を流れてきた辰巳用水が、金沢城二の丸へ導かれた水道の遺構で寛永9年に作られた。当時は木官であったが天保15年に石官に替えられたとされる。(8:13)
水道の遺構  
「水道の遺構案内板
  眺望台
  海抜53mにある眺望台からは 卯辰山や白山山系、能登半島方面が見渡せ、兼六園の六勝の一つ「眺望」を体験できた。眼下の土手には手入れされたサツキ、ツツジ、桜などが配されていた。 (8:15)
眺望台からの眺め  
眺望台からの眺望風景
  雁行橋
   雁行橋」は、並べられた11枚の石が「雁」が夕空に列をなして飛んでいる様子に見えることから「雁行橋」と名付けられたという。別名「かりがね橋」「亀甲橋」。現在、石の保護のため通行禁止になっていた。 (8:22)
雁行橋   
 雁行橋」案内板 右端に雁行橋の一部
  明治紀年之標
  「明治紀年之標」は、明治10年(1877)西南の役で戦死した将兵を祀った記念碑で台座に立つ「日本武尊像」は身長5.5mあり、人物を模した大きな像としては、日本最古の銅像といわれる。    (8:25)
 明治紀年之標  
明治紀年之標
栄螺山    栄螺山(さざえやま)
   栄螺山は頂上までの坂道がぐるぐると栄螺の殻のように渦巻いていることにより名付けられたという。 13代藩主斉泰が霞ヶ池を掘り広げた時に出た土を利用して築かれた山で、山頂付近には笠の屋根の形をしたお亭と三重宝塔が立っていた。 (8:35)
栄螺山山頂へ続く階段    
   栄螺山案内と山頂へ続く階段。霞ヶ池を掘り広げた時に出た土を利用して築いたできた栄螺山は高さ9m、周囲は約90mで左上がりで螺旋状に上って行く坂道がある。実際のサザエの殻は右巻き右上がりで栄螺山は逆だという。
三重宝塔と避雨亭  
山上の傘の形をした御亭「避雨亭」と「三重宝塔」
   
赤戸室石と青戸室石を使った高さ6.5mの「三重宝塔」は、第12代藩主「前田斉広」を供養するために12代藩主前田斉広を供養するために、斉広の正室と側室二人で建立したといわれる。

 山頂にある傘の形をした御亭「避雨亭(ひうてい)」は「傘山(からかさやま)」とも呼ばれる。御亭(おちん)とはお休み処、庭園または公園のあずまやを表す言葉。
栄螺山からの眺望  
栄螺山からの眺望霞ヶ池
     兼六園の噴水
   栄螺山を急ぎ足で下り、日本最古といわれている兼六園の名物「噴水」に向かった。 兼六園の「 噴水」は日本最古の噴水で霞ヶ池を水源としており、水面との落差で3m以上も噴き上がっていた。文久元(1861)年に13代藩主斉が、金沢城内の二の丸に水を引くために試作させたと言われる。 (8:40)
 兼六園の噴水    
   
噴水風景
  常盤ヶ丘
  常盤ヶ丘一帯は周囲の松と苔が調和し、日本庭園の雰囲気を醸し出していた。  (8:41)
 常磐ヶ丘    
   
常盤ヶ丘の苔むした庭園風景
  兼六園の山査子(さんざし) 
   噴水近くの常磐ヶ丘歩道脇には真っ赤に熟した山査子があり、目を奪われた。昭和40年代の終わり頃に植えられた山査子だという。それ以前にもあったが枯死したので新たに植えら、兼六園ではこの一本しか見ることができないという。中国原産のバラ科の植物で実は健胃・整腸として活用される。 (8:42)
山査子  
5月下旬に2cmほどの白い花を咲かせ、10月頃にこのような直径2cmくらいの暗赤色の丸い実をつける。
 山査子の実    
   暗赤色の丸い実は、漢方の薬用植物として昔から活用されるという。

  噴水や山査子を観賞し、常磐ヶ丘を抜けると一巡し、ことじ灯籠と虹橋のポイントにたどり着いた。
 
 霞ヶ池と松・桜の風景
散策で印象に残った庭園の主役、霞ヶ池と松・桜の風景
   「霞ヶ池」の風景
 霞ヶ池の風景 霞ヶ池は兼六園のほぼ中心部に位置し、園内で最も大きな池である。案内板には「天保8年(1837)に堀り広げられた池で、広さは5800平方メートル。池の中の島は、蓬莱島といい、不老長寿をあらわしており、また亀の甲の形をしているので、別名、亀甲島ともいう。池を中心に内橋亭、徽軫灯籠、栄螺山などの名勝が散りばめられ、それらを回遊しながら散策する構成になっていた。眺める場所・方向により異なった趣の霞ヶ池が見られた。 
霞ヶ池と徽軫灯籠(ことじとうろう)   
  霞ヶ池と徽軫灯籠(ことじとうろう)」:徽軫灯籠(ことじとうろう)」は、脚が琴の糸をささえる琴柱(ことじ)に似ているので、その名が付いたという。後方池に浮かぶ水亭は茶室の内橋亭で昔は二つの屋形を橋でつなげていたという。
霞ヶ池蓬莱島   
霞ヶ池の中の蓬莱島という亀の形をした島
水面に映る松と内橋亭風景   
水面に映る松や内橋亭と青空とのコントラストが美しい。
   
見る場所によって異なった趣を見せる霞ヶ池
兼六園の松   兼六園の松
  六園には琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたという唐崎松や根上がり松、姫小松などの名木があり、兼六園の日本庭園の魅力を引き出していた。
唐崎松   
  兼六園の樹木を代表する唐崎松は、3代藩主斉泰が琵琶湖湖畔の唐崎から種子を取りよせて実生から育てた松で兼六園の中で最も枝ぶりが見事な松とされる。
   
 兼六園の風物詩、雪吊りで有名な唐崎松
根上松   
13代藩主・斉泰(なりやす)が植えたといわれる 「根上松(ねあがりまつ)」。
   
松の根は地表近くで成長するという性質を用い、土を盛り上げて若松を植え、根を土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだ。大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がり風格ある松だった。
 姫小松  
二代目姫小松。樹齢500年といわれた、初代「姫小松」は、園内一の枝振りといわれたが、台風の被害と老衰により、平成7年に伐採された。
   
写真左は現在の二世の姫小松。右下に初代「姫小松」の主幹の一部が残っている。
   
黒松だけでなく赤松の名木もたくさん見られた。
斜幹の赤松   
斜幹の赤松。青空とのコントラストがすばらしい。
   兼六園の桜
兼六園三大桜  兼六園内には約420本の桜が植栽され、春の主役桜の観光スポットがたくさんあった兼六園の名がつく桜の木が ①兼六園旭桜②兼六園菊桜③兼六園熊谷桜の3品種があり、それぞれの樹木を鑑賞できた。桜の開花時期に合わせて是非再訪したいものだ。
 兼六園旭桜
①兼六園旭桜:園内一の老木の山桜白山のヤマザクラの大木で園内第一の老樹であったため、大桜ともいわれていた。※
場所:(眺望~曲水の間)
兼六園菊桜   
② 兼六園菊桜兼六菊桜は全国でも珍しい品種の桜で花びらが330~約350枚持ち、約二週間咲き、開花から落下まで3種類ほど花の色を変えるという。昭和44年に枯れ死した初代は日本に一本しかなかった天然記念物として有名で、現在の桜はその二代目。
兼六園熊谷桜 
兼六園熊谷桜:樹齢300年の山桜

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