城址探訪 彦根城
 
彦根城天守と附櫓

主な内容 

彦根城   国宝天守  国重要文化財  玄宮楽々園 彦根城博物館

  彦根城 
   彦根城は、日本の滋賀県彦根市金亀町にあり、別名金亀城ともよばれ、姫路城、松本城、犬山城とともに国宝に指定されている。1869年(明治2年)の版籍奉還後から1871年(明治4年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域で年間を通じて多くの人々が訪れる。
彦根城
天守と附櫓
 
  「国宝」 天守、附櫓及び多聞櫓
「国宝」 天守、附櫓及び多聞櫓  明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。天守と附櫓及び多聞櫓の2棟が国宝に指定される。 関ヶ原合戦の前哨戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607)頃に完成。政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れている。昭和27年(1952)に国宝に指定。彦根城以外の国宝天守は、姫路、松本、犬山、松江だけである。(ガイド手引き) 
 
   天守の内部の特徴
  多様な破風を設けた結果、4~5人が入れる広さで隠し部屋と呼ばれる部屋が二階の東西、3階の南北の計4か所にあるといわれる。天守内には82箇所もの鉄砲、矢狭間を備え、平時には外から見えないように漆喰壁で塗り込められていた。 
天守入口      
天守入口 
 天守廊下・室内     
天守廊下・室内  
 天守掲示・置物資料    
天守掲示・置物資料(井伊直弼像) 
 鉄砲狭間

矢狭間
   
 鉄砲狭間  矢狭間
天守展望所からの眺望     
天守展望所からの眺望 
「国重要文化財」   「国重要文化財」 
天守と附櫓及び多聞櫓2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。
太鼓門及び続き櫓    太鼓門及び続き櫓
 天守がある本丸表口をかためる櫓門で、場内合図の太鼓を置いた所から名付けられたといわれている。
 
 天秤櫓    天秤櫓
 大手門と表門からのっ両坂道を上りつめたとおろにある。廊下橋に接続するっ櫓門部分を中央に、両坂道に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対称になっており、天秤櫓の名の由来となっている。
    
  西の丸三重櫓  西の丸三重櫓 
 佐和口に向かって左に伸びる多聞櫓。
   
二の丸佐和口多門櫓   二の丸佐和口多門櫓 
 佐和口は表門に通じる入口として、大手の京橋口と共に彦根城の重要な城門の一つである。
   
   馬屋  馬屋
  二の丸佐和の口多聞櫓のすぐ北側に建ちこけら葺きの屋根っが美しい屋根である。明和4年(1767年)の火災以前の元禄(1688年~1703年)頃の建立と考えられる。戦いのない時代にも馬役がここで藩主用の馬を日常的に管理・調教を行うと共に、藩士・師弟などに馬術を指南し修練を行っていた。城内に残る馬屋は全国でも彦根城しかない珍しい建物である。
   
   「国名勝」
玄宮楽々園 
「国名勝」玄宮楽々園(復元整備中) 
玄宮園は、滋賀県彦根市にある旧大名庭園で国の特別史跡「彦根城跡」の区域、および隣接する楽々園とともに「玄宮楽々園」として昭和26年、国の名勝に指定されている。江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれて隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられる。現在は、庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽々園と称している。
 
   
彦根城博物館    彦根城博物館  
表門橋を渡ったところにあり、もとは藩の表御殿。市制50周年を記念し、昭和62年(1987)に建てられた。彦根藩主井伊家に伝わる多数の美術工芸品・古文書(国宝・重要文化財を含む)などの展示施設として、資料に基づいて表御殿風に外観復元された。
 
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