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田崎神社例祭 七狩長田貫(ななかりおさたぬき)神社、通称田崎神社の例祭  
   <鹿屋市田崎町>
田崎神社例祭   「お田植え祭」・「しか祭り
田崎神社例祭

 七狩長田貫(ななかりおさたぬき)神社)、通称「田崎神社」は、三国名勝図会にも載っていることからかなり古く、由緒のある神社である。創建は不明だが再興の棟札には永正元年(1504年)伴兼明、天正三年(1575年)兼政等とある。別雷命(わけいかづちのみこと)を主祭神とする神社で、雷は雨をもたらすことから作物を成長させる農業の神、または狩猟の神ともいわれ、昔から崇拝されてきた。主な祭事は、2月17日に「しか祭り」、別名「神能面渡御祭」、2月22日には、「お田植え祭」、旧6月30日には、「名越祭」で毎年古式豊かに執り行われる。境内には、樹齢約900年近くの大クスが威容を誇る。 →田崎神社とオオクス
  <田植え祭>
<しか祭り>
 
お田植祭(田打ち)

しか祭り(鹿祭御神幸) 
   「お田植え祭」        「しか祭り」
お田植え祭
「うしの子ビョービョー」
田崎神社のお田植え祭「うしの子ビョウービョー」 祭礼日 2月22日
 田崎神社の祭礼「お田植祭」は,「うしの子ビョービョー」とも呼ばれ、地域の楽しみの行事の一つになっている。7人の狩長が、「うしの子ビョービョー」と大声を発しながら、木造りの牛を引き田をヨミ、ダイナミックな動きの祭りだ。例祭の期日は土・日・祝日に関係なく決められた日取りで執り行なわれる。登場人物:餅持ち1 モガ持ち1 クワ持ち7(七狩りの長)
 祭りの流れ
場面1
 祭りの流れと場面1:大きな鏡餅とモガを担いだ神職二人が「オッオッ」といいながら境内を廻る。続いて7人の鍬持ちが登場。
  大きな鏡餅とモガを担いだ神職二人が登場、「オッオッ」といいながら場内を回る  
餅持ち
 モガ持ち
 鍬をかいで7人衆が登場
場内を廻る
 
鍬持ちも入場
 祭りの流れ
場面2
 場面2:餅持ちが、ユーモアをまじえた口上で、「うしの子ビョウービョウ」と大声で呼び牛を呼ぶとやがて7人の鍬持ちが牛の手綱を引いて引き出し、「うしのこビョ^ビョー」のかけ声とともに一斉に田をヨム御田植祭りのハイライトだ。※他地区でよく見られる牛使いの田ヨミは一人だが、しか祭りでは7人衆が一斉に七本の手綱をつけて引くのが特色だ。<田打ち><田ヨミ>
 台車に乗った模擬の牛が登場   
「うしの子ビョービョー」7人衆が牛を引き出し、台車に乗った模擬牛が登場 
 決められた
方向
動き
回数
で田をヨム
 
田んぼに見立てた境内を縦横に走り回る。 見学の園児が牛にふれるほほえましい光景だ。
 まつりと地域が一体となったお田植祭  
見学者も御利益を願って牛にふれる。
「牛の子ビョービョー」
 モガを引いて田をヨム
 
模擬牛にモガを付け、「うしの子ビョービョー」のかけ声とともに、境内を田に見立て、田をヨム。
 祭りの流れ
場面3
場面3:田打ちが終わると、砂を茅に包み、7人の狩長が観客めがけて砂をまく。最初は自分の頭に、あとは観客に6回まく。砂をまき終わったら鍬を振りながら場内を廻る。 <砂まき=肥料まき>
 砂を撒く     
最初自分の頭に砂をまいてから太鼓の合図でスタート
 砂まき風景  
観客へ向けて砂をまく。
 鍬のカギを持って場内を廻る  
最後に鍬のカギを持って境内を廻る。
  祭りの流れ
場面4
 場面4:餅持ちが飯を持ってくる。鍬持ち7人の狩り長一人一人に飯を配り、それぞれお礼と感謝・豊作祈念の口上を述べる。<収穫感謝・豊作祈願>
 観客に見せながら飯を食べ口上を述べる。  
 
  祭りの流れ
場面5
場面5: 総員(観客を含む)で苗とろを舞う。
 総員(観客を含む)で苗とろを舞う。  

 祭りの流れ
場面6
 場面6.子どもや観客に飴をまく。
 飴蒔き    
 子ども達にとっては最後に一番楽しい時が待っていた。
 
餅まきならぬ飴まきに大人の見学者も童心にかえって満顔の様子

 動画で見る
「お田植え祭り」
<牛の子ビョービョー>
 
 動画で見る田崎神社「お田植え祭り」
 

しか祭り   しか祭り  祭礼日 2月17日  鹿屋市無形民俗文化財(昭和41年4月1日指定)
しか祭りは、七狩長田貫神社(田崎神社)に伝わる祭礼の一つで神狩祭ともいわれる。先祖の狩猟時代からの古い歴史を物語る祭で狩長の狩猟の範囲を確認するために、その領域の要所要所を祓い鎮めて歩く祭りである。昔は、神職は騎馬で、その他の従者は徒歩で御神幸していたが現在は神輿は鳥居の外に出ると、軽トラックの荷台に載せられ、約10kmの距離で打馬、祓川、大浦、郷ノ原、新栄の御旅所を廻る。案内板によると『田崎町七狩長田貫神社では、古くから2月11日に「柴さし」を行っていた。郷之原まで出向き「柴きり」をし、その夜からしか祭りの始まる日まで柴をさしておく。2月17日には「しか祭り」が行われる。そして一之王(田崎神社の神様)を騎馬で奉持して、神職、氏子、総代、狩人、付添人たちを従えて笛を吹きながら西祓川の外園まで御神幸になり、ここで野火をつけ、シカ狩りをされた。集落の人たちは神様のお通りになるのを今か今かとお待ちして神能祭りの御旅所で女は糸を、男は山草履を神様に差し上げ、弓と矢をいただいた。』とある。
  柴さし
 柴さし 古くから2月11日に「柴さし」を行っていた。郷之原まで出向き「柴きり」をし、その夜からしか祭りの始まる日まで柴をさしておく。祭りが終わるとこの日から狩猟を始めてもよいというひとつの狩猟初めの儀式でもある。旗山神社のそれと似通っているところがある。
 
境内の柴さし風景
   神能面渡御祭
 神能面渡御祭  「しか祭り」は、神能面渡御祭ともいう 。「神能」というのは長さ2mの鉾先の比札の下にハナタカドン(猿田彦面)をつるし、このあとから御輿が行く。鹿屋市史には「昔猿田彦は先妻に死に別れ、後妻を迎えて前妻の遺児を養育させていた。ところがこの後妻は子どもにも隠して別鍋にご馳走を作って食べていた。・・・この秘密を知られた妻はとうとう逃げてしまった。そこで猿田彦は妻の行方を探してまわることになった。それがこの神能面御渡祭のコースである。・・・」というおもしろい記述がある。まだ続く。「二日目は桶ヶ平岡の草やぶの中ではなかろうかということで、岡下から火を放ったところ大猪一頭が飛び出したのでこれを射止めた。そこで、この日から後は祭日には長さ2mの萩弓に矢を結びつけ、氏子の希望者に与え、家の守り神にした。この渡御祭以前に百姓は狩猟をしてはいけないことになっていた。・・・」と、祭りに由来する記述がある。
   神能祭(しんのうまつり)の御旅所(おたびしょ)
 先導役のハナタカドン ハナタカドンを先導役に次の御旅所を廻る。 
打馬の御旅所  → 祓川の御旅所 →大浦の御旅所→ 郷の原の御旅所  →新栄の御旅所 
 
途中途中は車で御神幸 先導役のハナタカドン
最初の御旅所
 打馬
 
   
最初の御旅所 打馬
 途中の大浦御旅所

  
   
 大浦の御旅所
 最後の御旅所
新栄
   
  最後の御旅所新栄 
御旅所
車による移動風景
 
 
神輿は軽トラで移動  車による現在の御旅所移動風景
  しか祭りで使用される弓矢   しか祭りの弓矢 
しか祭りでは弓と矢を用意する。矢は萩の枝にサカキの葉を矢羽としてつける。弓矢の材料は神社境内に自生している萩の幹を使う。帰社後、各御旅所での参列人たちに弓矢が配られた。もらった弓矢は家の床間にいて守り神とする。
 
 頂いた弓矢は持ち帰り、家の魔よけとする。

田崎神社・田崎神社のオオクス 
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