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甑島の風景薩摩川内市上甑町・里町

  自然の創造力の偉大さと美しさに感動
甑島は、鹿児島県の西40キロの東シナ海に浮かぶ島で小高い山々が連なり、海岸線を中心に美しい景観を呈する。自然の創造力の偉大さと自然の織りなす美しい風景が訪れる人に感動を与えてくれる。甑島を代表する景勝地のひとつ「長目の浜」は、島の北西部の山裾が太古からの風波によって崩れ落ち、沿岸流や季節風で運ばれて、幅50m、長さ約4kmと続く海の中道が作られた。薩摩藩主島津光久公がその美しさに「眺めの浜」と呼んだことが名称の由来とされるほど眺めのよい景観だ。里町中心地付近は海底の砂礫が沿岸流によって運ばれ、波の作用によって水面上に現れた陸繋砂州・トンボロ上に位置し、学術的にも珍しい砂州で長さ1500m、最大幅1000m、最小幅250m、高さ2〜3mと広大なものだ。甑大明神橋の上甑島側のたもとには島名発祥の由来とされる甑(せいろのこと)の形をご神体とする甑大明神が祀られていた。 2010年8月4日
 トンボロ  長目の浜展望 長めの浜海岸   長目の浜四つの池
甑大明神      中甑漁港  武家屋敷跡 M A P  

 トンボロ(陸繋砂州)  <里町>
 陸繋(りくけい)砂州(さす)トンボロは海岸近くの島と島や島と陸を結ぶ砂州でトンボロ上に発達している函館市街が有名である。ここ里町のトンボロは島と島を結び、地形の全長は、南北に1500mで、最大幅1000m、最小幅250m、高さ2.3mで、里町の中心はこの地形の上に集まっている。
 
里町の陸繋砂州(トンボロ)は、海底や沿岸流によって運ばれた砂や石が波の作用によって水面に現れたもので、学術的にもめずらしい砂州とされる。
 
里町側に最も近い「須口池」と後方は里町のトンボロ
  長目の浜展望 
 展望所案内板には次のように記されている。『延長約4キロメートルの浜は「長目の浜(眺めの浜)」と呼ばれており、太古から絶え間なく打ち寄せる波や、沿岸流による自然の力で小さな入江がせき止められ、池となったもので、それぞれの池は水質が異なっています。ここからの眺めは甑島随一といわれ、北に天草、北東に長島が一望でき、県立自然公園特別区域に指定されています。』
   
長目の浜展望所 
 
里町側長目の浜展望所から望む長目の浜風景。

 上甑町北西端の田ノ尻展望所から望む長目の浜全景
   
 田ノ尻展望所
 
 田ノ尻展望所からの眺望した長目の浜。水平線の左端が遠見山(250m)、右端が遠目木山(423m)につながる山並み、この両山を結ぶ中央の窪みが里町のトンボロ
 
長目の浜の眺望。手前の池が鍬崎池。一山隔てて細長く貝池、なまこ池と続いている。展望所案内板には次のように記されている。『延長約4キロメートルの浜は「長目の浜(眺めの浜)」と呼ばれており、太古から絶え間なく打ち寄せる波や、沿岸流による自然の力で小さな入江がせき止められ、池となったもので、それぞれの池は水質が異なっています。ここからの眺めは甑島随一といわれ、北に天草、北東に長島が一望でき、県立自然公園特別区域に指定されています。』
 長目の浜海岸
  長目の浜海岸風景
   
   
 
なまこ池と貝池が接する長目の浜中心付近から東方向の長目海岸と里町を望む。
長目の浜と四つの池
長目の浜は、鍬崎池、なまこ池、貝池の三つの池と長目の浜に隣接する須口池が並び、海と池を隔てる約4kmに及ぶ玉石の海岸線が続く。池によって、淡水と海水が層をなしており、それぞれにちがった生態系を持っている。行政上「なまこ池」と「貝池」が上甑町、「須口池」「鍬崎池」が里町に属する

長目の浜に隣接する須口池。湾曲した砂州に囲まれ、里町側に最も近い「須口池」と後方は里町のトンボロ須口池は海との浜境が比較的小粒の石でできているため、湖水のほとんどが淡水でウナギやボラなどが生息している。

周辺山の緑を映し込み、神秘的なたたずまいを見せる鍬崎(くわさき)池。鍬崎池は面積16ヘクタール、最深部6メートル、淡水に近くコイや2メートルを越える大うなぎが生息しているといわれている。

鏡のような平らな湖面を見せる神秘的な貝池。面積16ha、最深部12メートル,貝が生息しているところから貝池と呼ばれ、水深6メートル付近には30億年前から生息してきたバクテリア「クロマチウム」生息する池といわれる。

甑島県立自然公園貝池標柱と貝池説明板
この貝池は、広さ16.2ヘクタール、深さは最も深い所で11.6メートルの湖で上の方は周囲から流れ込む雨水により薄くなって低塩分の水が覆い、底の方は、春から夏の間に静かに侵入した海水が停滞して、海水の層になっています。この海水の層は、酸素が無く、多量の硫化水素を含んで、特別な微生物しか生息できない状態になっています。その海水の層と上層の低塩分の水の層との境目(深さ約5メートル)には、約20センチメートルの厚さで光合成細菌が濃密に分布し、水中には赤紫色のカーペットを敷いたように、全面に広がっています。この光合成細菌は地球誕生後の極めて早い時期の、今から約30億年も前に出現した原始的な微生物の仲間で、その後の生物発展の歴史の中で、画期的に重要な役割を果たしたといわれています。
「貝池」説明板より

北西に長く延びるなまず池。面積51ha、最深部22メートルで長目の浜の池で最も大きな池だ。浜堤下にて海水が往き来し、その名のとおりナマコをはじめ、メジナ、タイ、キス等、海の生物が生息している。

ナマコの形をした案内石碑

数千年前なまこ池は貝池とともに海岸線の凹んだ入り江でしたが、島の北面からなまこ池の北端に連なる崖の崩壊で、崩れ落ちた岩石が波や湖の流れによって運ばれ、次々と堆積し、海面下で細長い洲になりました。その後、海面が降下して、洲の上部は海面から現れて今の長目の浜となり、凹んだ所になまこ池や貝池ができました。そして、景観の美しいことから、昭和57(1982)年に県立自然公園に指定されました。なまこ池は、広さ55ヘクタール、最も深いところで24メートルあります。また外海とは長目の浜の玉石の間を海水が出入りしており、海の干満に呼応して、湖水面は3〜4時間遅れて上下します。池には、薩摩藩の時代に長崎県大村湾から搬送中に入れたと言われている「なまこ」が現在も生存、繁殖しており、また湖岸の礫や岩にはアコヤ貝が寄生しています。他にもボラやキス、シマイサキなど、海の魚貝類が多数生息しています。
「なまず池」説明石碑より


 甑大明神橋・甑大明神  <上甑島・神甑町>
 
甑(せいろ)の形をした大岩をご神体とする甑大明神<甑島の島名の由来とされる>
   
 上甑島と中島をつなぐヘタノ串海峡海峡に架かる全長420mの 甑大明神橋
 
南側方向から甑大明神橋
 中甑漁港<マグロ水揚げ・解体風景>
 
   
 ダイナミックなマグロの水揚げ風景 
武家屋敷跡
 数百メートルにわたる特徴のある石垣は、藩政時代の外城郷土の生活と当時の歴史を知る貴重な文化財である。
 
屋敷の表門や丹念に積み上げた玉石垣に古い歴史の一端をかいまみることができる。
   
武家屋敷通り 

 MAP


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