城探訪紀行  日本百名城 小田原城     
 
 東海道最後の牙城 「小田原城」
 小田原城は、戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地だった。5代100年にわたって築かれた城下町を城内に取り込んだ総構といわれれる城構えで、全体を取り囲む堀と土塁は総延長12キロに及んだとされている。北条氏時代には、関東の勢力や上杉謙信、武田信玄が主要敵で北からの侵入への備えが主だったが、江戸期に入ると、江戸を東海道で守る最後の拠点として重視され、従来の城を築き直して、城下町とは分離した近世城郭に生まれ変わった。東海道を控える東南側が重視され、三の丸と二の丸の間をつなぐ馬出曲輪(うまだしくるわ)、これを守る隠し曲輪としての御茶壺曲輪の存在が特筆される。北条氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山を詰の城としていた。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭で、小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。慶長19年(1614年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させているが、完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残る。
サイトUP日 
2018・8・4
小田原城天守閣を目指す
 馬 出 門  銅 門  常盤木門  天守閣  イヌマキ  後書き

 小田原城
正規登城ルート
 
「正規登城ルート」は、馬出門土橋 → 馬出門 → 馬屋曲輪(馬屋・登城者の待機所があった所) → 銅門(二の丸の表門)→ 常盤木門(本丸の正門) → 本丸広場 → 天守閣 と進む。 
 
 馬出門  馬出門 
   馬出門は、三の丸から二の丸に向かう大手門(正規登城ルート)に位置する門である。寛文12年(1672)に桝形形式に改修され、江戸時代末期まで存続した。石垣と土塀で四角く囲んだ桝形と、本柱と控柱を備えた高麗門形式の馬出し門・内冠木門の二つの門から成る。 
   
   
 銅門 銅門(あかがねもん)
  銅門は、江戸時代の小田原城二の丸表門で、江戸時代のほぼ全期間を通してそびえていたが明治5年に解体された。現在の銅門は、昭和58年から行われた解体される前の銅門を参考に平成9年に復元された。 
   
特別公開された銅門内部部屋
 
歴史見聞館   歴史見聞館
 
二の丸跡の歴史見聞館
 常盤木門   常盤木門(ときわぎもん)
    常盤木門は本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていた。元禄16年(1703年)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706年)に、多聞櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、明治3年(1870年)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれている。現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971年)3月に完成した。  
   
 
   
 小田原城天守  三度再建された 小田原城天守
  北条氏時代には二層の天守があったが、寛永10年(1633年)と元禄16年(1703年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けている。天守が再建されたのは宝永3年(1706年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続した。第二次大戦後に三度の再建を経験している。
 本丸跡広場の天守
   
 
小田原城天守閣
天守 閣内部  小田原城天守閣内部
  天守閣の内部は、小田原城に関する古文書・名刀・絵画・陶磁器などの展示室となっていて、1階は江戸時代、2階は戦国時代、3階は美術工芸品や発掘調査について、4階は企画展示のエリアで内容が変わる。
天守 閣入口     
天守閣入口
天守閣からの眺望   天守閣からの眺望 
  小田原城天守閣の標高は68.3メートルで、高さは全国7位の27.2メートル。天守閣最上階から四方位、360度の絶景を眺めることができる。 
   
 イヌマキ  小田原城内のイヌマキ
 小田原城内のイヌマキ   小田原城天守に負けず劣らずの立派なイヌマキ 
イヌマキは関東南部以西の海岸地帯の森林に多き自生する暖温地帯を代表する常緑の高木で、小田原市内の神社や寺院の境内にも多く見られます。
この木は、幹周り4,5mに及び、市内では最大のイヌマキです。主幹は左巻きにねじれ、地上5mのところで四支幹に分岐しています。以前は、四方へ密に枝を広げて傘状の見事な姿をしていましたが、台風のために北側の大枝が折れて、支幹の一部があらわになり、現在のような姿になってしまいました。しかし、堂々と猛々しく立つ姿は壮観で、小田原城跡内の数ある大木、古木の中でも、本丸の巨松と並ぶ双璧です。<現地案内板より>
 
「小田原市指定天然記念物(昭和49年3月30日指定)
小田原城跡のイヌマキ所在  城内3-22
樹相<目通り幹囲 4.5m  株元周囲 約6m  樹高 約20m
枝張り状況 東西25m 南北13m>
   
 
  後書き  後記
ット これまで伊豆下田の歴史散歩を体験しているが今回、小田原探訪の機会に恵まれた。
国の史跡に指定され、日本百名城の小田原城址は、城下を取り囲む大外郭を含めた城の規模は、戦国時代でも最大規模の威容を誇ったといわれるだけあって、1960年に復元された天守閣や常盤木門、銅門、馬出門のほか、城の歴史を紹介する「小田原城歴史見聞館があり、城址公園として整備され、家族で楽しめる観光スポットとなっていた。時間が許せば石垣山城や小田原城土塁跡を巡りたかった。
 
 MY privateショット 


   ふるさと情報室へ ふるさと探訪記へ      姫路城へ      竹田城へ   明石城        県外探訪   top累計