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中種子町探訪編 中種子町


種子島top
中種子町は種子島の中央部に位置し、東シナ海と太平洋に挟まれ、北は西之表市、南は南種子町に隣接する。空の玄関「種子島空港」があり、面積は137.76平方キロメートル、総人口8686人(2009年11月1日現在)。耕地面積も広く、サトウキビや甘藷などの畑作を中心に、製糖や畜産も行われる。島の東海岸は太平洋の荒波によって浸食されてできた奇岩、洞窟が数多く見られ、すばらしい景観を誇っている。一方東シナ海に面した西海岸は、屋久島をシルエットにした夕日が感動的だ。種子島の海は近年、サーフィンのメッカとしても有名だ。

「空の玄関」種ヶ島空港
中種子町の風景(自然風景や名所、史跡など)
熊野海岸    熊野のマングローブ林 水稲早期栽培の碑
日本一の大ソテツ 古市家住宅   運動公園「太陽の里」
犬城海岸 馬立の岩屋 雄龍岩・雌龍岩
男渕の滝・女渕の滝 長浜海岸

熊野海岸と一帯の風景
熊野海岸は沖合に浮かぶ小島を眺めながら、海岸線を散策するのにもってこいの場所である。周辺はレクレーション村になっており、夏は海水浴やキャンプでにぎわう。近くにはメヒルギ、ハマジンチョウ、ヤッコソウ、キイレツチトチモチの自生地、水稲早期栽培米発祥の地などがある。

熊野海岸北方向風景

熊野海岸、沖の小島と岩屋風景。砂鉄を含んだ砂丘が黒っぽく見える。

自然レクレーション村のある熊野海水浴場

熊野海岸から→熊野阿嶽川下流域のマングローブへ
マングローブ林(メヒルギ、ハマジンチョウ
熊野の阿嶽(あたけ)川下流域の河口付近では、メヒルギやハマジンチョウのマングローブ風景が見られる。また、一帯には、キイレツチトリモチやヤッコソウなどのめずらしい植物が自生し、保護されている。特に阿嶽川のメヒルギは海岸線まで自生しており、自然豊かな景観を保っている。自然レクレーション村の西側の林にはトベラの根に寄生するキイレツチモチトリが自生し、保護されている。

阿嶽川下流域河口に自生するメヒルギ、ハマジンチョウのマングローブ風景

阿嶽川口のメヒルギの中にハマジンチョウが混在し、広大なマングローブ風景が広がる。

自然レクレーション村の西側の林には、トベラの根に寄生するキイレツチモチトリが自生する。

水稲早期栽培発祥の碑
種子島は、日本一早い新米の産地として有名である。熊野海岸に隣接する阿嶽川の橋のたもとに「本郷水稲早期栽培発祥の地」の碑が立つ。中種子町阿嶽浦では昭和11年、早期米の栽培に初めて成功し、今日の基礎が築かれた。

中種子町阿嶽浦に広がる水田地帯

阿嶽浦の早期米の収穫風景
阿嶽川橋のたもとの「本郷水稲早期栽培発祥の地」の碑と早期米収穫風景

日本一の大ソテツ    
道路沿い、坂井豊受神社の境内にあるソテツは、樹高7m、樹長10m、根回り2mの大きさがある。推定樹齢600年以上といわれ、樹長では「日本一の大ソテツ」という看板が立つ。いくつもの枝に分かれて、くねくねと湾曲した枝が空高く伸びる。2010/4/16更新
樹長では「日本一の大ソテツ」とされる坂井神社の大ソテツ

現在も葉を茂らせ成長し続ける坂井神社の大ソテツ 2010/4/16
樹高7m、樹長10m、根回り2mの日本一のソテツ

坂井神社境内のアコウの巨木

古市家住宅
坂井大ソテツのある所から、2百メートルばかり南に、弘化3年(1846年)建立とされる古市家住宅がある。屋敷地は周辺より一段高い所に位置し、正面には低い石垣を構え、ほぼ中央に入り口を開く。種子島に現存する最古の住宅で、島内では規模が大きく、座敷部の構え等も本格的で、島内を代表する民家建築として価値が高い。屋敷地の環境も良好で主屋とともに歴史的風致を形成しており、平成6年に国の重要文化財に指定されている。

国指定重文化財の古市家住宅

老朽化が進み、重文指定後に補強と現状回復工事が行われた古市家住宅
手入れの行き届いた庭先には藤やツツジが開花の時期を迎えていた。 2010/4/16
中央運動公園「太陽の里」
風力発電用の巨大な風車が建つ中種子中央運動公園「太陽の里」は、陸上競技場、野球場、体育館、武道館、テニスコートなどスポーツ関連の施設が集中し、地域内外のスポーツ・レクリエーションの交流拠点となっている。大小2つのすべり大を持つ流水プールは人気があり、夏場はにぎわう。公園内には風力発電用の風車がまわり、太陽の里の目印にもなっている。

中種子中央運動公園・太陽の里
長さが115mもある流水プール

風力発電用風車

陸上競技場
 犬城海岸・馬立の岩屋
増田と立山をつなぐ県道から細い坂道を1km下ったところに犬城海岸がある。種子島屈指の景勝地で、きれいに洗われた真砂を踏んで行くと、青い海にいろいろな形をしたいくつもの巨岩が突っ立ている。巨岩や奇岩、青い海と青い空、珊瑚礁がとりまく美しい海岸は時を忘れさせてくれる。この犬城海岸の北側に伝説を秘めた「馬立の岩屋」という天然のほら穴がある。入り口が二つあり、中はだいぶ広く、夏は天然のクーラーだ。

青い海にはいくつもの巨岩が突っ立ている。

塔、ピラミッド、亀など、見る角度によって様々な形に見える

巨岩・奇岩、そして透明感のある青い海の犬城海岸風景
馬立の岩屋

透明感のある犬城の海と馬立の岩屋

馬立の岩屋入り口

太平洋の荒波に浸食された洞穴風景

洞穴内から犬城の海をのぞく。

ps;岩屋の奥には小さい祠があって、第十代島主、種子島幡時(はたとき)が祭ってある。「懐中島記」(元禄2年)によると、「東に岩屋ありて魔多手(またて)と号し、十代島主種子島幡時公は天犬の法を修し、かねてからその穴で修行していたが、58歳の時、岩屋で事故死した。8月17日が忌日で、この日は、増田の人びとは霊風をおそれて、山野海辺には出ないのである」というふうに記してある。(タネガシマ風物詩より
伝説によると種子島幡時はこの岩屋で消息を絶ったという。幡時は馬に乗っていたが、ホラ穴の入り口で馬を降り、単身、ホラ穴の中に入っていった。ところがふたたび姿を現すことなく、馬だけがいつまでも立っていたという。それで「馬立(また)ての岩屋」というそうだ。

雄龍(おたつ)岩・雌龍(めたつ)岩
東シナ海の白波が寄せる海岸を一望しながら進むと星原小学校近く、国道58号線沿い浜津脇の海岸に、鬼の形の巨岩が二つ向かい合って立っている。角が一本出た形ののを雄龍(おたつ)岩、二本出ているのを雌龍(めたつ)岩と呼んでいる。二つ合わせて鬼ガ瀬ともいう。おもしろい形をし、いろんな伝説を秘めた岩である。

右が雄龍(おたつ)岩、左が雌龍(めたつ)岩と呼ばれている。

現地に立つ案内板

ps;雄龍岩、雌龍岩にちなんで次ような伝説が残る
その1昔、崖の上の小学校の地に、達五郎と達江という仲のよい夫婦が住んでいた。ある夜、嵐のために崖くずれにあって、二人は家もろとも海に投げ出された。それ以来、二人の姿を見かけたものはいなかった。数ヶ月が過ぎて、いつの間にか二人が投げ出された海の所に、仲良くよりそうように大きな岩が立っていた。人々はいつしかそれらの岩を、達五郎と達江の生まれ変わった姿ではないかというようになった。そして、達五郎と達江の名前に因んでこのふたつの岩をオタツ岩、メタツ岩と呼ぶようになった。・・・現地に立つ看板の案内説明文より
その2:昔、屋久島の鬼と種子島の鬼が恋をした。ところが両島の人間どもは仲が悪かった。そこで見せしめに、人間どもが鬼の首を切ってここにすえたそうな。・・・タネガシマ風物詩より

男淵(おぶち)の滝と女淵(めぶち)の滝
渇水期でも滝水の流れる神秘的な2つの滝
種子島で最も高い場所が標高282m、高い山のない種子島では珍しい滝となっている。増田にある2連滝で、上段にある滝が男渕の滝、下段の滝が女渕の滝と呼ばれている。滝の入り口付近は環境整備され、駐車場やトイレが完備している。

滝全景。上段にある滝が男渕の滝、下段の滝が女渕の滝。

男渕の滝は幅4m、高さ4m、面積4a

女渕の滝は幅5m、高さ5m、面積3a

ps:秋佐野の男渕女渕の滝
字「秋佐野」の男渕・女渕の滝は上下2連の滝で上を男渕、下を女渕と呼んでいる。以前は滝の周りに柳がうっそうとはえ、底は青々としており大人でものぞき込めないほど神秘的であった。現在は樹木も薄くなり渕全体も明るくなっている。上の男渕が幅4m、高さ4m、面積4a。下の女渕は幅5m、高さ5m、面積3aである。高地のない種子島ではめずらしい滝である。渇水期でも滝水の止むことはない。
・・・現地案内板より

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